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空間を支配する表現 | 大山康太郎×REトーク
旧・原田米店から、入居アーティストの活動を発信していくシリーズ「旧・原田米店交流会」。
その第二弾のゲストとして、アーティストの大山康太郎さんとREさんのお二人を迎え、
共通するライブペインティングなど、自身の作品や活動についてお話を伺いました。
後半は、クラブカルチャーや風営法の問題などにも話が及びます。
当日の写真と共に、レポートをお届けします。
日時:2011年11月21日(木)18:00~21:00
ゲスト:大山康太郎、RE
司会:寺井元一
会場:旧・原田米店
1. 大山康太郎 —空間を支配する表現—
寺井:せっかくこうして旧・原田米店という場所をお借りして、一つ土地の上で多くのアーティストに活動していただいているので、横の繋がりで色々と交流などもやっていこうと思っています。そこで今日は大山康太郎さんとREくんに来て頂きました。僕が大山くんと会ったのはけっこう昔で、2003年くらいだったか、ともかく10年くらい前にチラッと出会っていて。
大山:僕らが元々クラブで遊んでいて、そのクラブカルチャーの中にグラフィティが拡張して入ってきた。それがライブペインティングっていうパフォーマンスとして機能しはじめたのが2000年くらいかな。Barnstormersとかの影響下にあった。「これオモロイやないか」と。その日本ではかなり初期の段階でおれらがやり始めて。当時は大変やったんですよ。クラブとかどこも、絵の具とかそんなん、汚したらどうすんのとか。
寺井:臭いしね。
大山:最初は小さいハコで始めて。
寺井:大山くんのライブペインティングユニット「DOPPEL」の相方が山尾くんといって、BAKIBAKIという名前で活動しているんですけど、その山尾くんと僕が渋谷で壁画関係の仕事をするなかで付き合いが増えて「相方が奈良におるんですわ」というふうに聞いていた。その後きちんと大山くんと会ったのはいつだっけ。
大山:去年の松戸アートラインプロジェクト(以下アートライン)のとき。
寺井:去年のアートラインの時に松戸の伊勢丹の前にでっかいドームを出して、凄く面白かった。この旧・原田米店が去年のアートラインで展示会場になった縁もあって、これから継続的に使っていこうと。アトリエとして貸し出すことが決まった時に大山くんを誘って、いま入ってもらってます。ライブペインティング界隈についてもう少し聞こうかな。
大山:ライブペインティングというシーンは、ここ十年くらいの間にパーティシーンの中で新しいコンテンツとして機能するようになってきたんです。その流れはグラフィティ/ストリートアートの文脈に乗っています。2000年前後にグラフィティという土俵で多くのアーティストが色々な表現をし始めたんです。バンクシーとかちらほら出始めて、Barnstormersっていう集団が作った、一つの小屋に一気に絵を描いて行く早送り映像にみんなやられて、とか、ヨーロッパで新しい進化を遂げて、とか。そういうのに影響されていたんですね。
寺井:その中で、大山くんはどういうふうに活動してたの?
大山:日本でグラフィティの影響を受けながらライブペインティングする中で、日本人であるということを凄く意識し始めた時期でしたね。顧みて、文化に改めて興味を持ち始めた時期でもあったし、ちょうど二十代前半だったのもあって、モチベーションも上がってた。
寺井:グラフィティにも地域性や個々の特徴が生まれて多様化して、そこからライブペインティングが独立したジャンルとして派生した。
大山:ライブ感に特化したのがライブペインティングというふうに把握しているんです。まあ、おもろいやないかっていう話なんです、結局は。現場で描いて、しかもクオリティ高いと。みんなしかも練習しとる。DOPPELなんか、週一かそこらで集まって練習したりしてましたね。
寺井:どんな練習するの(笑)
大山:ライブペインティングの練習するんですよ。ショーやから、かっこよくないとあかん。無駄な動作を省いたりするための練習とミーティングを最初の一年か二年やっていたかな。
寺井:ライブペインティングもそんなことするんだね。DOPPELの活動にはこの十年間くらいでどういう変化があったの?
大山:僕が民族文様にインスパイアされ始めて、黄色人種の流れというのか、自分のルーツ、ベースというのを掘り起こして自分のコアにしようということがあったんですよね。二人ともトライバル文様とかにハマったりはしていたんですけど、それぞれブラッシュアップさせていって。ライブやから暴力的に消してしまうのも一つのパフォーマンスとして成立するんちゃうかって言って、ぐちゃぐちゃに消して終わった時期もあったし、色々とやってました。色々やりつつ、大きいのもやるようになったり、話も広がってスタイルも変化しつつ。人物と民族文様みたいなことも。
寺井:基本的には人物のところを山尾くんが描いて、トライバルだったりそのバックグラウンドのところを大山くんが仕上げていく、混ざっていくみたいなスタイル。
大山:うん。それをしばらく続けてきて、これはパフォーマンス的にかなり着地点がはっきりしている分、良かったんですよ、すごく。
寺井:大山くん個人は、いまどういう活動をしているの。
大山:個人としては、ちょっとこのムービーを見て頂きたいんですけど、ごく最近の。2010年に麹町画廊でやった。壁画っていうところから、部屋全体を埋め尽くすみたいな表現になった。いま流しているムービーは逆再生なんです。僕が描いて完成したものを白く塗りつぶす作業を撮って、逆再生をしている。
寺井:本当は、白いペンキで消してるということだね。
大山:ずっと消してる。それを逆再生した時にええ感じになるようにあれこれ考えつつ。後ろ向きに歩いたりしましたね。
寺井:前へ歩いているように見せるために(笑)これはどういうところから発想して行き着いたの。
大山:壁画の仕事やライブペインティングをやるなかで、音楽と一緒に考えることが多くなったんですよ。空間の支配力が音楽は凄くて、例えば眼をつぶっても聞こえる、耳を閉じても身体で感じる。そういう、空間を全部取り込む力がある。それに比べて絵というのは限定されるんですよね。眼をつぶったり顔を背ければ、その人にとっては消えてしまう。そこで、影響力を広げるという意味で、部屋全体をグラフィティで埋めて変えてしまえと考えました。「これしんどいけど、やろうよ」と(笑)
RE:あはは(笑)
大山:やってみたら「これすげえな」って(笑)今はそれをブラッシュアップさせていってる最中ですね。あらゆる方向に絵が描いてある空間に入り込む。そういう世界を。
寺井:キャンバスに描くということでなく、もう空間を。
大山:空間自体を絵で支配する。いま注目しているのはハレーションの効果なんです。反対色を隣り合わせると眼がちかちかする。いわゆる極彩色。それが昔の寺なんかで使われていたということを文献で読んで、自分の今までやって来たディテールにその効果を仕込んでやってみた。どこを見ても眼の端がちかちかするという空間なんだけど、初めは違和感がある。でも慣れると日光浴してるみたいな感じになってきて(笑)日光浴してて眼をつぶっても、眼の端がちかちかする。そういう感じ。あと子どものテンションがむちゃむちゃ上がる。子どもを先生のように思っているんです。大人みたいに余計な情報がない状態で、眼の前の作品が凄いかどうかダイレクトに判定してくれる。子供が喜んでるから、これちょっと凄いんじゃないか、と。
寺井:LEDを入れ始めたのは? 光があると色が動いて見えるよね。
大山:LEDは、YAMACHANGっていうライティングのアーティストと「ここにLEDあったらどうなんねやろ」って、実験をやったんです。そうすると色がめっちゃ変わって。これはえらいことになったと。自分の制作はそういうふうに実験をしたり友だちと遊んだり、そのなかで次の方向が見えてくることが多い。
寺井:どれくらいかかったの、これ描くのは。
大山:これは一ヶ月ですね。これめっちゃしんどい、天井塗るの。首が取れそうになるんですよ。
寺井:上を見続けて。
大山:いやもうほんと。
2. RE —枯山水/メキシコ/ライブペインティング—
寺井:次はREくんに。
大山:REがライブペインティングを始めたのはいつなの。
RE:2008年ですね。もともと未来世紀メキシコっていうパーティをやってたんで、パーティのなかで何が出来るかって考えて。メキシコ旅行に行ったとき、友だちの家の壁画を描いたんですよ。こういう場所に絵を残すのっていいなと思って、それからちゃんとライブペインティングを始めました。
寺井:それが2008年のこと。
RE:はい。その前は、ずっとグラフィックデザインをやってましたね。
寺井:それは学生が終わってからずっと?
RE:そうですね。スケートシングさんていう有名なグラフィックデザイナーがいて、スチャダラパーっていうヒップホップのバンドのCDのジャケットを描いてた。小学校の三年か四年でそれを見て、頭から離れなくて。高校生の頃にスケシンさんが出した本をたまたま本屋さんで見つけて、なんかミッキーとスターウォーズのストームトルーパーを合体してて「これやばいな」と思って。買って読んでたら、そのスチャダラパーとか全部載ってて、そっからもうはまっちゃって。
RE:これが当時のパーティの映像です、ほんとに初期の。次が今回の個展の映像ですね。初個展、恵比寿のNOSで。これの制作は松戸のアトリエです。
寺井:この映像の中で着ているTシャツも作ってるんだよね。
RE:そうですね。
寺井:Tシャツとライブペインティング、どっちを先に始めたの。
RE:高校生の頃から友だちのバンドのTシャツを作ってて、シルクスクリーンで。
寺井:いまやってるのは、Tシャツとライブペインティングと?
RE:今はTシャツとかのグラフィックデザインとパーティでのライブペインティング、その二つですね。グラフィックデザインはある程度制約があって、オーダーしてくれる方の意見も取り入れて作ってる。だんだん自分の中で自由なものが何かわからなくなってきて、その時にちょうどライブペインティングを始めたんです。なので、ライブペインティングをする時は何も考えないところから、ずっと辿っていって形にする。最初のイメージを何も作らないんです。
寺井:モチーフは基本的にずっと鳥が中心?
RE:鳥、になるんですよね。壁のラインとか影とかあるじゃないですか。なぞるんですよ、気持ちいいラインを。そうすると段々鳥っぽくなってくるんで、形が。それで鳥にしようか、って言って鳥に。
寺井:鳥を描いてるんじゃなくて、鳥になりました、っていう。
RE:そうですね。気持ちいいラインの積み重ねがそういうシルエットになっていく。
大山:ライブペインティングの時って、どうしても大きい絵になるじゃないですか。小さい絵だと手首から先だけで描けたりするんだけど、大きいと膝から使わなくちゃいけなかったりして、その身体の動きが気持ちいいということもあるよね。
寺井:身体でかいやつのほうが有利やなとか思ったりするもんなの。
大山:うん、身体でかいやつのほうが有利ちゃうかな。
寺井:おっきくいけるもんね。
RE:あとライブペインティングだと時間が決まってるんで、一回の塗りのクオリティをどこまで高く出せるか、という、そういうところですかね。一筆の完成度の高さ。
大山:グラフィティとの大きな違いはツールにもあるね。ライブペインティングはクラブの中とかでやるから、スプレーとかあんまり使えなくて、刷毛とかペンとかで描ける人のほうが有利といえば有利。
RE:これが2008年にメキシコで初めて描いた壁画ですね。これも鳥だったんです。着いて二日でスケボーで脚を怪我して、帰れなくなって三ヶ月いました(笑)
寺井:長っ。それは旅行で行ったの、友だちのところに遊びに?
RE:まず友だちの家に遊びに行って、そこから旅に出ようと思ってたら。
寺井:怪我をして。動けなくなって(笑)
大山:でも旅ってアクシデントがあると濃くなるよね。
RE:そうですね。やっぱりそこで一つのつながりと言うか、先々でつながりを残せたら。
寺井:メキシコの何が好きなの?
RE:メキシコはもちろん壁画文化が凄くて、でっかい壁画が宮殿に描かれてたり。あとは民族。いわゆるインディアンがいる。150くらい部族があって、言葉もみんな違うんです。だからシティとかだと、どこにでもグラフィティがある。駅にも言葉が喋れない人のために、この駅は虎の模様、とか、次の駅はピラミッドの模様とか。
大山:へえ、おもろいな。
RE:すごく共存してるんですよね、色んな民族の人が。そういう先住民の人たちが元々持っていた土地に資源がいっぱい眠ってるから、政府が開拓してお金にしようとしている。それに抗して自分たちの土地を守るぞって闘ってる、サパティスタっていう人たちがいるんです。凄く歴史が深くて、学ぶこともいっぱいある。2008年に行ってから、その後に三回くらい行ってます。アートがすごく身近で、普通の人でも自分で描いた絵を部屋に飾ってたりとか、土壌が全く違いますね。
寺井:大山くんとREくんのつながりっていうのは、どこが最初なの。
大山:どこやったっけか。なんかイベントで初めて会ったんだよ。
RE:そうですね。大山くんの相方の山尾くんが出してるグループ展があったんですよ。そこに僕も出してて。たまたまその後に京都に行って、京都で個展やるっていうんで、その時に会ったんですよね。東京に戻ってからも何回か会って、そっから。
大山:京都に行ったのは、枯山水が好きなんやったっけ。
RE:はい。きっかけは、ふられて。「もうおれダメだ」って。家の近所に庭園があるんですよ。昔は庭だったのが西洋風の建物に変わって微妙な感じになってて。ちゃんとした庭を見ようと思って京都に行ったんですよね。そのころ庭が好きで、重森三玲って枯山水の第一人者の人の作った庭が京都にいっぱいある。それを一ヶ月半くらい毎日見に行って。
寺井:メキシコと枯山水はどういう関係があるの。
大山:でも枯山水はやばいよね。
RE:凄くモダンで。
寺井:どれも素敵なんだけど、近いものではない。メキシコの風景と枯山水でも、雰囲気が違うんだけど、REくんの中ではつながってるんだろうな。
RE:この重森三玲っていう人は凄くモダンで、ちょうど、ふられた時期に、アール・デコとアール・ヌーボーにハマってて(笑)
寺井:なんだそりゃ(笑)
RE:いや、でもつながるんですよ、アール・デコと庭は。アール・デコと庭はつながるんです。アール・デコって鋭角な四角いラインで組み合わされてて。ちょうど庭でもアール・デコから派生している解釈で。この人の庭は、竹垣が雷の模様になってたり。
寺井:アール・デコから枯山水。メキシコは?
RE:2004年くらいに未来世紀メキシコっていうグループで活動してて・・・。MIXっていうクラブが青山にあって。カリビアンダンディーっていうレゲエのパーティが毎週水曜日やってたんですけど、初めて行った時に「なんだここは」と思って。
大山:ああ、おれもめっちゃゆかりあるところ。音良かったよね。
RE:壁一面にでっかいスピーカーがあって。そのMIXがなくなる時にそこで遊んでた同世代の友だちで作ったのが未来世紀メキシコ。集まってパーティしようよって始まったんです。この未来世紀メキシコって、勘違いなんですよ、元は。「未来世紀ブラジル」っていう有名なSF映画があるんです。あの映画、面白いよねって話になって。「未来世紀、えーと、メキシコだっけ?」「いや違うけど」って。先輩の結婚式で「未来世紀メキシコっていう名前で漫才やれ」って言われて。だからいちばん初めは結婚式のパーティの余興。「はいどうもー、未来世紀メキシコでーす」っていう。そっからイベントやりだして、始まった。
寺井:なにそれ(笑)
RE:六人いるんですけど、DJとミュージシャンと洋服アーティストと物書きが集まって、僕はデザイナーとして入ってます。EKDっていうメンバーは民謡とか歌ってるんですよ。彼がこの前出したCDがあるので、流してもいいですか?
大山:ライブペインティングシーンはパーティありきなんですよ。ライブペインティングだけでやって来てるわけじゃなくて、パーティシーンの中で新たに生まれたコンテンツみたいな。おれらパーティめっちゃ好き、って。そこがベース。
寺井:山尾くんもそう?
大山:もちろん山尾もそうだと思います。
RE:(会場で曲をかけながら)これがEKDのやつで、竹田の子守唄っていう、京都の民謡がオリジナルであって、それのカヴァーですね。
寺井:メキシコっぽさとかは入れてるの。そういうことじゃないのかな?
RE:未来世紀メキシコって言ってるけど、メキシコって何だろう。ていうか、それでメキシコに行ったんですよ。
寺井:「おれら未来世紀メキシコって言ってるけどメキシコってどんなとこか知らんわー」って確かめるために行ったら怪我したんだ(笑)すごいな。やっぱり音楽に影響されたりするよね?
RE:ライブペインティングをやる時ならクラブなので、そこでかかってる音楽とか、人とのコミュニケーションとか。音からの影響は物凄く大きいですね、音には勝てないと言うか。ライバルじゃないですけど、尊敬してますね。ライブで盛り上がる感じとか、絵では中々ならないじゃないですか。
大山:それは分かる。みんなしてすっげえ盛り上がって。結局は音じゃなくて人で、人が「うわあ」ってなってる、あれでしょう。凄く分かる。
3. 来場者からの質問
質問者:大山さんは、音とライブペインティングはどっちが先なんですか?
大山:音ですね。学生の時にバンドをやってました。大学で出される課題よりバンドに夢中になってて。その音でいうセッションみたいなことを絵でも出来たらいいなと思って。クラブシーンの進化の仕方であったりとか、みんなの楽しんでるモチベーションであったりとか、そういうパーティカルチャーの人の一体感みたいなのは大事にしていきたい。
寺井:自分の作る音っていうのは。
大山:バンドでやってたのは、エコーマウンテンっていう優しいDUBですね。大阪はDUBシーンが強くて、スカの時代からしっかりあって、スカ、レゲエ、ジャズって行って、四十越えてるくらいのおっさんから下は二十代までみんなDUBやってたり。大阪のSF-Recordingsっていうレーベルからデビューして、THE HENIRCOOTSってバンドにも参加してましたね。
寺井:もう一個、このあとどうやっていきたいとかっていうことを。
大山:壁画から空間全体の演出へ移って、経済にも興味が出てきてる。社会の中で空間が存在するからには、必ず何らかの経済と関わっているので。それと3.11っていうすごいインパクトがあって、全体の国の動きや経済の動き、マクロな視点に興味が出てきて、それを込みにして作品を成立させられたらと思っています。それから、いま大阪で風営法がとても厳しくなっていて、クラブシーンがダメージを受けているんです。大きなハコはほとんどなくなって、小さいハコも厳しいチェックを受けている。みんなストレスが溜まっているのに、それを発散する場所も奪われている。関西人として、何かできたらいいなと。いま思っているのは、一回いままでのクラブの成り立ちを終わらせて、新しい形でスタートさせること。具体的にはブロック・パーティにしちゃう。誰かの私有地にしてしまって、その中で、クラブ営業という形でのビジネスさえしなければ、ホームパーティと同じ水準とみなされる。法律が入ってこれないだろうと。百人集めて、例えば千円ずつ集めます、すると十万円やと。それで一つの場所を庶民としてキープするということ。それで文化を継続していく。法律に対抗できるし、良い文化の土壌になるし、教育の場としても機能すると思うんですよね。そういう場所で十代の若者が面白い大人と出会ったり。そういう教育も大事なんじゃないかな。教育を国に任せるのでなく、不良とか言われるのかもしれないけど、夜遊びの場で学ぶことも多いはずで、そういう場を地域ぐるみで作れたらいいなと。いまは大阪に眼が向いているかもしれないですね。社会の中に存在する空間をどう演出するか。
寺井:それは僕もすごく興味ある。
大山:面白いですよね。
寺井:元々僕はクラブの人間じゃなくて、政治の方から入ったのね。某総理大臣になったおっさんの下で修行してて、自分は政治をやろうと思った時に、おかしな法律を一個見つけようと探したら風営法があった。あんまり世の中で知られていないけど、風営法って凄く古い法律で、昭和の20年代、戦後のすぐに作られてる。
大山:それが今でも変わらずに残っているのがおかしい。ちょっと聞きたいんだけど、私有地として囲んでもダメなんかなあ?
寺井:それはダメですよ。クラブも私有地じゃん。
大山:クラブとしての営業じゃなくて、ホームパーティ的に。どういうふうにやればクリアできるの?大阪からほんとにクラブなくなってて、大きいハコなんか全く。みんな苛々してるんですよ。おれらも、自分たちの活動の土壌になってるわけだから、それがなくなって行くのは凄く悲しい。どうやればクリアできるのか。
寺井:あくまで非営利でホームパーティだという言い方はできるし、ある程度までやれると思うけど、実態としては営業だろうっていうツッコミはかならず来ると思う。
大山:全くお金が動いてなくても?
寺井:本当に全く動いてなければいいんじゃない?
大山:実際にそこで商売はしてないと。
寺井:金持ちのおっさんがいて、宮殿みたいな自分ちでパーティしてると。周りも苦情言わへんし。それでそのおっさんが、「お前もおれの友だちやでー」って、どんどん連れ込んでいくと。だからクラブで言えば、ほんとに営利じゃなくて全員友だちだって言えればいいと思う。
大山:一個の、すごいローカルやけど、コミュニティを作れたら。
寺井:だから僕の話になるけど「渋谷じゃなくて松戸」っていうのは。
大山:そうやね。ローカルのほうがモチベーションは高い。おれ色々思って、勝手な意見を言うけど、みんな不良になればいい。学校とかサボってもいいから、自分の道を探せと。自分のこと考えて動くような十代がもっと出てきて欲しい。今までの教育とはずれるかもしれないけど。でも親とは十年後にも会えるから、みたいな。それって凄く大事な事だと思うし、今やるべきで、パーティカルチャーを通じてそれを感じて欲しい。
寺井:むしろ大山くんがそれを感じたんだよね、パーティカルチャーを通じて。お前もやっていいんだよ、とか、始めたらいいじゃん、っていう感じがあったよね。
大山:教育は学校の中で完結しているわけじゃなくて、色んな人との関わりの中で人は大人になっていくし、色んなことを経験して人生観を獲得するわけやから、「学校とか一回忘れろ、飛び出していいんだ」と言いたいですね。
RE:みんな不良になれ、と。
大山:うん、ええと思うねん。不良って「良くない」って書くんで、決して「悪い」とは書いてないんだから。(会場爆笑)
寺井:悪くはないんだよね、良くないだけでね(笑)
大山:いわゆる一般的に良くないと書いてあるだけで、悪いやつじゃないと。そうなれ、と。そういうふうに言いたいんです。
RE:色々言われるんですよね、クラブシーンって。でも自分が実際にその場で経験して変だなと思ったらそれで終わる話だし、自分の判断で生きていけるんだから。
大山:どんどん行け、と。思うわ。
RE:コミュニティ、身近な人のつながりを強くしていくことが大事だと思うんです。こういうふうにもっと、話し合いたい。話しあおうよ。
寺井:ありがとうございました。もう今日はがっつり話した(笑)お二人はもう大丈夫ですか、いや、もう出し切ってると言っていいと思うんですけど。
大山:もうビールもええ具合に進んでます。
寺井:ありがとうございました。大山くんとREくんでした。月一くらいでこういうことをやっていきたいなと思っていて、REくんも言ったように「話し合いたい」ってことなので。よろしくお願いします。
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プロフィール
大山康太郎(おおやま・こうたろう)
1979年、兵庫県西宮市に生まれる。 京都市立芸術大学、美術学部版画専攻、卒業。 音のセッションやグラフィティの影響を色濃く反映しつつも、アジア人、人としてのルーツ/本質を自らの血の内に探り、 原始的咆哮とも言える紋様を生み出し続けているアーティストであり、音響を、ビートを、描くように表現できるミュージシャンでもある。 関西アンダーグラウンドクラブシーンにおいて、音と絵を、分け隔てなく入出力できる鬼才。 DJプレイでは、体中の血液が緩やかに集中していくような、喜びにも似た興奮を理想とする中で、 ライブペイントでは、多岐にわたる音楽活動で鍛えられた音楽的感性と本能的感覚を活かし、音と共鳴し、戯れ、呼応しながら、ライブという一回性の中で「その場/その時=現在」を描いてゆく。
http://www.koutaroooyama.com/
RE(あるい)
多国籍音楽集団“未来世紀メキシコ” の一員であり、 アパレルブランド5Wを展開。イベントでのライブペインティングや、EKDの1st アルバム””Para Todos Todo””のジャケットデザインなどアートワークを手がける。
http://5wfzmx.com/gallery.html
寺井元一(てらい・もとかず)
株式会社まちづクリエイティブ代表取締役。 NPO法人KOMPOSITION代表理事。 1977年、兵庫県生まれ。2001年、早稲田大学政経学部卒業のあと、同大学大学院に進学(のち中退)。2002年にNPO法人KOMPOSITIONを設立。 渋谷を拠点に若いアーティストやアスリートのため、活動の場や機会を提供する活動を始める。横浜・桜木町の壁画プロジェクト「桜木町 ON THE WALL」や、渋谷・代々木公園でのストリートボール大会「ALLDAY」などのイベントを企画運営してきた。 2010年、株式会社まちづクリエイティブを設立し、クリエイター層の誘致により松戸駅前エリアの活性化を目指す「MAD Cityプロジェクト」を開始。 多目的スペース「MAD City Gallery」開設、「松戸アートラインプロジェクト」の運営にも携わる。
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