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MAD City People #04|ダンサー・ダンス講師 永井 美里(前編)
千葉県松戸市の松戸駅前で行われている、まちづくりプロジェクト「MAD City」。2010年のプロジェクト開始以来、半径500メートルのエリアの中で、150人以上のクリエイティブ層がショップやアトリエなど独自の活動を展開している。
そんなエリアで活動する人々を紹介する本企画。第4回目に登場するのは、松戸市在住のダンサー・ダンス講師の永井美里さん。劇場外の場所を舞台空間にする「AAPA(アアパ)」名義でのプロジェクトを中心に、これまでにMAD Cityの空き物件などでも公演を行ってきた。今回は彼女の創作のルーツと、幼児のダンス教育や、アーティスト派遣の活動など、多岐に渡るダンサーとしての仕事について話を聞いた。
text:AKIRA KUROKI
photo:SHIN HAMADA
Profile
名前:永井美里(ながい みのり)
職業:ダンサー・ダンス講師
年齢:34
ーご出身は?
横浜です。
ー松戸に住みはじめたきっかけは?
AAPA(アアパ/ Away At Performing Arts)で一緒に活動している上本竜平とともに、2013年に北千住にスタジオをつくったので、近くで物件を探していました。そして上本が知り合いだったまちづクリエイティブの寺井さんに相談して、PARADISEスタジオを紹介してもらったのがきっかけです。松戸に来たのはそこに入居してからですね。この場所なら町でAAPAの活動もできそうだし、いろいろと繋がるかなと思って。そこから4年前にいまのMADマンションに越してきました。
ーMAD City でもよくパフォーマンスをされていますが、空き物件など、ちょっと意外な場所でのパフォーマンスが多いですよね。
そうですね。まちづクリエイティブのスタッフの人たちと話しながら、一時的なイベントとしてやるよりも、町やその場所に長くいて、作品を作っていくことに興味を持って。自由に使わせてもらえるほうがダンスは深まると思っています。
劇場での公演だと、別の場所でつくり、それを劇場の中で上演する形に仕上げていきます。そうではなくて、その場所でつくり、そこでパフォーマンスするなかで、生まれてくる面白さに興味があるんだと思います。
ー最初に行ったパフォーマンスはどんな内容だったのですか?
最初は、PARADISEスタジオの部屋がいろいろな方に借りられる前だったので、いくつかの部屋を使った移動型のパフォーマンス(短い旅行記2014)を行いました。
短い旅行記 2014
ー松戸で行った公演や作品で、印象に残っているものや、手ごたえを感じたものはありますか?
今年1月~4月に上演した作品「となりとのちがい」は、松戸という町について考えたきっかけでもあるので、印象に残っています。松戸に住んである程度経ったけど、結構知らないこと、行ってない場所いっぱいあるよねみたいなところで、町を歩いてみることから始めたんです。
となりのちがい(photo:Fumika Saito)
ー永井さんがダンスをはじめたきっかけは何だったんですか?
もともとはクラシックバレエをやっていました。仲が良かった団地の幼馴染がバレエを始めたので「私もやりたいな」っていうのがきっかけです。バレリーナになりたいというよりも、バレエのお稽古場に通うのが楽しくてやっていました。
ただ、バレエってある時期を過ぎると、テクニック的にも身体的にも楽しいだけじゃ全然なくなってくるんです。でも、ダンスは好きだなっていうのはずっとありました。高校でダンス同好会に入っていろいろなダンスに触れたり、自由課題で自分で創作したりという体験もあって。
大学進学を考えた時に、やるならダンスのことを学びたいなと思い、海外にダンス学部というのがあると知ったので、そっちに行きたいなと。いまの自分につながるダンスであり、かつバレエじゃないものというのは海外で出会ったものです。
自分に変化を加えるための場所へ
ー国内ではなく、海外を選んだ理由は?
ひとつは、私が通っていた高校が当時はまだ新しかった単位制の総合高校だったこと。帰国子女がいたりとか、海外に目を向けてる子達もいっぱいいて、その影響もありました。でも、誰も知らないところで一からはじめたいみたいな気持ちもあって。
両親としても、ダンスを大学で学ばせる不安もあったと思います。「そのあとどうするの?」みたいな。でも、付加価値をつけるというと変だけど、海外に行くことで、英語を使った何かもひらけるかもしれないという思いもあったのかもしれないですね。
それに日本でダンスを学ぶと言っても、自分としてもそこからなにか広がる感じもしなかったし、単純に魅力を感じられる場所もなかったというのもありました。海外の大学で、ダンスが教育や文化、医療など様々な切り口から研究されていることを感じて、「ダンスができることってもっといろいろあるのではないか」という漠然とした自分の感覚を前にすすめてくれる気がしました。何か新しいものが見つかるんじゃないかっていう。
時折気分転換にくるという相模台公園にて。
ーイギリスではどこに留学されていたのですか?
ロンドンの端っこにある、ミドルセックス大学です。田舎ですごく綺麗な場所でした。
ー大学ではどんなカリキュラムだったんですか?
ダンスを実技と理論の両面から広く学びました。実技では、コンテンポラリーダンスを軸にテクニッククラス、振付、パフォーマンス等の授業があり、理論ではダンスを通じて歴史、文化、地域、社会など多方面から見せてくれる大学で、それはすごく良かったです。
イギリスは、「コミュニティダンス」という分野が進んでいて、ダンスをどうやって地域や社会に繋げていけるか、いま実践をしているひとたちを紹介してくれました。文化がどういう風にダンスに現れているかとか。ロンドンという地域柄もあると思いますが、他民族の町なので、いろんな国のひとが、いろんな起源をもったダンスをいまのかたちに変えて活動していました。
ー向こうにいって、日本との違いで印象的だったこととかはありますか?
やっぱり多民族というか、単純にいろんなひとがいることですかね。見た目も、考え方も。あとは言語の違いです。母国語以外の国で暮らすという、大変さも面白さもありました。
ー大学を終えた時は、今後日本で活動していくという考えは頭にあったんですか?
具体的にはなかったです。結局コンテンポラリーダンスというものに海外で出会っているので、その日本の状況とか、コネクションもなんにもないし、なにができるかなっていうのはありました。でも、イギリスに残るっていうのも、3年生のときに、ちょっと違うなという気もしていて。
向こうで感じたこととか学んだことを、日本に戻って実践したいという思いが強くあったので、帰ろうってことだけは決めていました。帰って何ができるかは、帰らないとわかんないなと思っていたところで、友人に相談をしていたら「こんな先輩がいるよ」と紹介してもらったのが、いまいっしょにAAPAの活動をしていて、パートナーでもある上本です。
(後編に続きます)
※本記事はmadcity.jp および M.E.A.R.L の共通記事となります
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