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MAD City Tour対談 まちはいかにして、散歩道という遊び場に変容するのか【後編】

2023年11月。千葉県・松戸市、松戸駅前エリア半径500mを対象としたまちづくりプロジェクト「MAD City」で2023年11月23―26日、日本の古い節目にちなんで衣服を発表するプロジェクト 「system of petrasancta」による展示会「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」とフィリックス・アイドルによる展示会「都市再神秘化計画」が開催された。

system of petrasancta(以下、sp)は、古くから中国、日本に伝わる季節の区分「七十二候」(しちじゅうにこう。1年を72に分割する季節の方式のこと。二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた期間をさす)に着目し、原則年6回のペースですべての「候」をテーマにした作品を発表してきた。第6回目となる今回は11月22―27日を指す「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」をテーマに、M.A.D Center内で展示を行った。同期間中、この展示に呼応するような形でフィリックス・アイドルは展示会「都市再神秘化計画」を開催した。「MAD City」公式Instagram上のオンライン展示に加え、松戸市内にある和室アパートを使用したオフラインの展示を行った。

松戸に在住しながら活動する両者は、街をぶらぶらと歩きながら感じとるような、ある種の質感を具体的な例に挙げながら今回の制作について語った。意味の実在/不在を横断するように、遊歩する者の眼差しを前提とする両作品は、共鳴しつつ互いに独立した展示作品を生み出すことになった。そもそもなぜこれらのプロジェクトが同時に開催されているのか、そのきっかけや経緯から、松戸という街を彷徨い歩く身体と作品の関係性について、不動産を介してまちづくりを行う「MAD City」の目論見も交えて話を聞いた。

後編では「一見意味がないもの」への解像度、合理化されたシステムと自分を解きほぐすための行為≒プロセスについて。

Text:Jumpei Ito
Edit:Moe Nishiyama
Photo:Yoshiaki Suzuki

前編はこちら

◎「一見意味がないもの」への解像度と、抽象化される身体への自覚

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――フィリックスさんがおっしゃるように、例えば「自宅と職場を行き来する」というような日常的行為の中ではわかりやすく生活と関わる部分だけが意味を持ち、それ以外の物事はなくても成り立ってしまっているように感じられることがあります。だからこそspが川沿いに、「ランニング用のアスファルト」と「ススキ」の2種類のビジョンの共存を発見したように、見ているものから読み取れる一時的な意味からの逸脱を発見するというプロセスの方に魅力を感じます。現在、都市においては土地を資産などの価値に還元し、あらゆる場所の意味や機能を規定してしまいかねないといった現状があります。短絡的な観点から場所が有益か否か判断される状況下で、いかに意味のないものを見つけ、また作っていくのか、そしてそれをどうやって自らの生活に組み込んでいくのかということが重要なのかもしれないとお聞きしながら考えていました。

フィリックス:おそらく「意味がない」というものはなくて、実際には「一見意味がない」ものだと思っています。最初は「それが何であるか」を想像できなかったものでも、あとから意味を発見したりできてしまうこと自体におもしろさを感じます。対象そのものだけを大事にしていて、手段を大事にしていない考え方が広まるのは危ういことだと思います。逆に手段、つまり発見したり収集したりするプロセスを楽しんで大事にするという考え方に親近感があります。

――プロセスへの意識を重要視するという考え方から、飛行機という乗り物を利用している時に感じる違和感のことを思い出しました。飛行機は、車や電車などの移動手段と違って、目的と時間があらかじめ決まっているスケールの大きい移動手段です。その際に搭乗する数百人の単位の乗客が、特に疑問も抱かずにゴールのみを共有して共にいるということはよくよく考えたらとても驚くべきことなのではないかと思うことがあります。飛行機は一度搭乗したら、よほどのことがない限り引き返すことはできないという点で、ゴールからの逸脱が不可能という前提を抱えています。そうした状況自体、本来はかなり身体的に不自由であるはずであるのに、嫌だと言って逃げることもなく皆好んで飛行機に乗る。あの状況の不思議さを思い出しました。最も早く目的地に到着することのみに焦点を当てて、最短経路でゴールに到達した時「そもそも何が起きているのか」などといった具体的な感性は一回全てスルーされてしまいます。フィリックスさんのお話で言うと、iPhoneの映像をみる人が、手に持っているデバイス自体を意識できていないという事態に近しいように思えます。目的としての画面内コンテンツばかりが大事にされて、それがどういう物質でできていて、どういう手触りでというように、手に持っている事物そのものを味わうというプロセスは差しおかれます。

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フィリックス:私のパートナーが極度の飛行機恐怖症なので、飛行機体験の不思議さについて考えることはよくあります。空を飛んで移動するということ自体がそもそも不思議で、どうしてそれが成立しているかわからない。それなのに空中を浮遊している自分がいるという事実は、よくよく考えてみるととても怖いことだと思います。
マルク・オジェは彼の著書『非‐場所―スーパーモダニティの人類学に向けて(叢書人類学の転回)』*1のプロローグでまさしく飛行機の体験について取り上げています。本全体の冒頭となるプロローグでは、あるビジネスマンが飛行機に乗り、移動する滑らかな体験がフィクション形式で書かれるところから始まります。読むと、飛行機に乗るという体験に付随する具体的な事柄(搭乗準備、免税店、広告、雑誌など)の一つひとつがあまりにも綺麗に主人公の前に出て役目を果てして去っていくため、無意識に経験している飛行機の体験の大部分が奇妙にも感じられてきます。そしてその具体的な事柄の不可視化はオジェが本書でいうところの「非-場所化」の経験の一例でもあると思います。

◎「ワープ」への欲望 「無意味」への欲望

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――人工知能(AI)を始め、新しいテクノロジーが日常化していけば、飛行機やスマホの例のように、具体的なことは何も考えなくても物事が進んでいく世の中に自動的になっていくと考えられます。より広い視野から見れば、今後現実をシミュレーションしていった先に求められるのは「失敗しない人生」のようなものなのではないでしょうか。「こういう風にやったらああいう風に成功するよ」というように選択肢とそのゴールがセットで人の行動を決定するようになる。だから基本的に失敗しなくなってくる。おそらく誰も失敗しなくなるんだけれど、その時同時に「人は本当にそれで幸せなんだろうか」という問いかけも発生します。失敗して初めて「やってしまった」とか「次はこうしよう」と反省して次に繋げていく想像をします。そういうプロセスの中で獲得していく愉しみは数えきれません。失敗する人生がなくなった時、私たちはどうなってしまうのだろうという個人的な感覚もあります。先ほどフィリックスさんがおっしゃっていたように、一見すると意味がないように見える物事のおもしろさを時間をかけてでも発見していったりするプロセスが大事なのではないでしょうか。

寺井:私は極端なものが好きなので、どちらかといえば飛行機は好きです。車よりも飛行機の方がいい。車でも飛行機でもプロセスが無意味化しているのは変わらないと感じるから。さらに言えば、飛行機よりもワープのほうがいい。でも実際に一番好きなのは、歩くことです。飛行機に乗るという行為の本質を突き詰めたとき、ただ目的地に移動したいだけなので過程はどうでも良くなる。究極目標はワープすることなのだと思います。という一方で、本質的に大切なのは身体性のあるプロセスであり、つまり歩くことだと思う。移動の話でいえば自動車業界においても、運転すること自体へ関心が高まっています。トヨタの「FUN TO DRIVE, AGAIN.」などのキャンペーンにも見られる「車を運転する楽しみをもう一回取り戻したい」というような動きの背景には自動運転の存在があります。自動運転では車に乗ったらぼーっとしているだけで、気づいたら目的地へ着いている。それは飛行機よりもワープ的に移動を遂行したいというモチベーションの現れだと思います。そういうテクノロジーが日常化し始めているからこそ、逆説的に車を運転する楽しみが欲しいよねという気持ちが生まれてくるのだと思います。
まちづくりの話でも、ワープができるようになりつつある一方で、一見無意味であることが必要になっていると思います。まちづくりとはそもそもの基本的な由来からすると「まちに建物を建てること」はつまりハード整備で、ある敷地に対していかに建物を高く建てるかということを容積率をはじめ他の様々な観点から緻密に計算します。本来かなり時間がかかる作業だったのですが、現在ではAIなどの発展によって答えが一瞬で出せるようになってきています。答えを出すことが難しかった作業が、実際にはプログラムに情報を打ち込むだけであっという間に10年後の物理的な世界を詳細まで設計できるようになっている。でも、重要なのはその10年後の世界で、建物が大きくなって高くなるけどそこでどんなライフスタイルや活動が生まれるか、ということなんです。実際に今まではそういうやり方で、みんながより広くて高い建物があって、目立つ場所があればまちは良くなると思っていて、実際にそこで「私お店やりたいです」という人もいっぱいいるという状況だったからこそ成り立っていたんだけれど、今後は大きく高い建物を建てればあとはどうにかなるっていうのは幻想だった、建物ができた後になにをするか、なにが起きるかを考えなきゃいけない、ということが言われるようになった。そうして初めて「あのときの古くて歴史のある小さい建物があったらよかったんですよね」というようなことをいう人たちが出てきていて、一周回ってソフトウェアの話に戻ってきているのだと思います。

◎「プランは立てられない」という前提 まちづくりの体系化できなさと「観察」

寺井:私個人の環境や経験で言いますけれど、まちづくりにおけるソフトの話は、建築都市計画等、ハードウェアの人たちからどこか下に見られているような感覚があります。ハードづくりの方が膨大なお金が動いて、ものすごい複雑な計算をしているのも事実です。しかしながら、ソフトの人の方がAIではできないことをやっているという自負もあります。つまり車を運転する楽しみ自体は、おそらくワープ的な技術をいくら向上させていっても到達できない領域であるということです。なぜならそれらは全くの別物であるからです。私たちがやってる仕事自体は、ざっくりと言えばソフト面から「まちのビジョンを描く」ことで、そのアプローチとして「どこにポテンシャルがあるかをリサーチする」ということを行います。そこで一番重要なのは「観察」です。結論からいうと「私には分かりません」という前提を持つことが答えだと思います。つまりまちづくりというのは、理性の世界で意味のある積み上げをしていくと何か答えが出るというものではないということです。まちを色々なところから眺めていると謎の違和感みたいな出来事がぼこぼこと現れてくる。場合によっては、違和感のある景色の裏に歴史的な背景があったり、またある場合にはそこに居合わせた人が何かを解決する特殊なニーズのようなものを実は持っていた、というようなことがわかったりもします。要するに可視化されてなかったり、手で掴んだりできないような情報が観察することから生まれてくる。

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ビジネスに置き換えると、理性に基づいて長期的にプランから行動を決定する「PDCAサイクル」のようなものに対して、私たちが行っている取り組みは、観察から生じる意思決定の仕組みとして現在注目されている「OODAループ(Observe(観察)、Orient(方向づけ)、Decide(意思決定)、Act(行動))」というものに近いです。PDCAは、元々は製造業のための手法です。ある生産品を作るために巨万の額の投資をかけて工場をつくる。絶対に失敗できないから、いかにうまくやるかということのためにプランを時間をかけてしっかりと設定することが基本的な理念となります。一方でOODAは空軍出身者の意思決定理論が由来となっています。数十秒単位の意思決定にもついていけるような戦略の立て方が基本になるため、現場ではPDCAのような長期的な計画は仇となることもあります。OODAでは、序盤ではひたすら観察(Observe)をし、こっちが良さそうだと思った方向を判断し(Orient)、それをひたすらに決定(Decide)、行動(Act)へと繋げていくという考え方です。要するに、とにかく実験しまくる。その大元にはプランすら存在しなくて、環境を観察して感じた違和感から、反対側に行った方がいいんじゃないかみたいなことを考えて実行する。それをやってダメそうだったらまたやめて……というようなことを繰り返し続けるという意思決定の仕組みで、ビジネスでも導入が進んでいます。まちづくりに換言すれば、私自身があまり他の人が見ていないものを眺めたり、観察したりして、そこから何かを読み解き、意味づけていくというプロセスのことになります。これはかなり感覚的な作業になるため、AIがなかなか代替できない領域になると思っています。観察から始めるまちづくりの実践方法ということについて、企業などに教える機会はありますが、教えきれないという実感があります。いくらチェックポイントを作っても、その通りやれば答えが出るわけではないので。

◎私たちがまちにいていい理由 風景に意味づけをする、という潜在的文化創出行為

寺井:翻って、一人ひとりがこのまちに何ができるかということが、僕はすごく重要だと思っています。それはまちにいる一人の人間としての主体性の回復にも繋がっていると思うし、spやフィリックスさんはお二人なりにそれを実践していると勝手に解釈しています。私自身元々政治学の出身なので、政治学的な観点から話をすると「政治的有効性感覚」の話にも近いと思います。ざっくりといえば、「政治のために自分が必要であると思える」感覚のことです。例えば人口が増えるほど政治はダメになるのは、人数が増えてしまえば、個人が一票入れたところで何も変わらないという感覚が強くなり、政治的関心が薄れ、選挙にも行かなくなるからです。政治学者の中には、選挙に行く気のない人たちをどうやって取り戻すかということを一所懸命に考えている人がいます。ですが、一番ブラックボックスの中にある大事な関心は「私は世界にいていいのか」とか「私には意味があるのか」という問いの中にあると思います。私にはもしかしたら意味がないということは、意識としてどこかに持たなくてはいけないと思うんですけど、それでも、何かを眺めたときに世界に対して自分なりの意味を見出し、付け加えていくという行為が重要だと思います。松戸に散歩道みたいな道は全然まだないわけです。でも、散歩道が規定され、観光スポットが丁寧に用意されているまちがおもしろいのかと言ったら、そうは思いません。いい感じのカフェが並べば並ぶほど「よくあるアレだね」という気持ちになります。反対に、謎で偶発的な景色に対しても、意味を一人一人が付け加えていく。それは結果としてカオスになるんですけど、そういうことを自分一人じゃなくて、いろんな人がし続ける現場があることが私にとってかなりいいまちづくりがされているという状態です。それはつまり、文化をつくるということだとも思っています。spもフィリックスさんもまちづくりをやっているとは一切思ってくれなくていいです。アーティストの立場であったり、アパレルの人の立場として自分がやることをやればいいだけなんですけど、それがまちづくりにもなってしまっているという状況が重要なのではないかと今は思っています。フィリックスさんの展示会場の看板一つを取っても、何も計算はできてないけど、実験してはいると思うんですよね。おそらくフィリックスさんは「あのブロックがいいかも」と思ったあとにブロックを積んでみたり「もうちょっとでかいブロックを持っていこうかな」と試行錯誤していると思うんです。そういうのがいい。別にさっさと既製品の看板を買ってきて、目立つようにすればいいと言えばそれで終わりなんですけど、その人があれこれと画策していること自体がいい。しょうもないと言われることもあると思うんですけど、そのしょうもなさがどこかで突き抜けていく気がしています。自分なりの意味を発見するというプロセス自体は、既存へのアンチテーゼとも違う気がしています。反抗的な意図から、意味がないことをただしたいわけでもないし。無駄なことをしようとしているけど、完全に無駄なわけでもなさそうな気がする、というギリギリのところが、説明は難しいですが興味深いと思っています。そういうことで私たちは繋がってると勝手に思ったんですよね。

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フィリックス:spが季節をもう一度捉え直そうとして実践したことは、合理化された時間から、自分なりの意味を持った時間を回収しているということに近いのかもしれません。先ほど例えに出たように「飛行機に乗る」という体験が実はとても変なことであるということについても、自分が移動に感じている意味を再び回収していくことは可能だと思います。

――今後のことについて考えていることを聞かせてください。

sp:このプロジェクトは、季節を七十二候に分けていることに着目しているので、72回開催できます。今後のことについて考えるならば、まだ6回目なのでこのままのペースで行くと多分、10年くらいかかると思います。例えば1月1日とかをどうするか、とかを考えたとき、時期や場所をずらしたりといろいろなやり方があると思っています。今回は今回でたまたまこういう状況が立ち上がっただけで、今までも開催している展示に応じて、振る舞い方や物へのアプローチの仕方を変えています。今のところは全部松戸でやっていますが、展示場所は毎回違います。今後は松戸でやらなくなるかもしれないですけど、その場所と時間とのコールアンドレスポンスで、空間を作ったりという風にしていけたらなと思っています。開催された時期や場所によってアプローチが変わっていたとしても、最終的に七十二候が集まったときに、一体どうなるのかということを、知りたいという思いがあります。

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フィリックス:今回、展示会場で気がついたことがあります。音楽では、ダンス向け、フロア向けに音楽を作るという考え方がありますが、フロアで人が踊っていたらその音楽は成功しているなと思えます。今回の展示では、売り上げとかではなくて、来てくれた方との会話自体がそのダンスフロアに近い感じかなと思っています。会場での会話が進んだり、会話がたくさん発生していたら、それは成功かなという。そうした状況を経験したうえで、新しいものが生まれそうになったのならば、その線を辿っていくというようなことをしてみたいと思っています。いずれにせよ来てくれた方との会話を見て決めたいと思うんですね。どういう形になるかとか、今回の展示をきっかけに考えたい。本当はしっかりとアートをやりたいという気持ちがあって、それが実現できるかどうかについても見ていきたいです。それとは別にどこかの場所を借りて、まちで拾ったものを売るショップのようなものをやってみたい、というアイデアもあります。実現できるかどうかはまだわかりませんが。

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 [前編はこちら]

  1. マルク・オジェ『非‐場所―スーパーモダニティの人類学に向けて(叢書人類学の転回)』中川真知子訳、水声社、2017年。

※本記事はmadcity.jp および M.E.A.R.L の共通記事となります

プロフィール

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2022年より松戸市を拠点にスタートした、日本の古い節目に因んで衣服を発表していくプロジェクト。

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アイドル・フィリックス

シドニー生まれ。現在は東京を拠点に衣服デザイナー、アーティスト、音楽家、オーガナイザー、翻訳家として活動中。

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