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テライマンがゆくMAD Journey #2 株式会社Happy 首藤義敬〈前編〉

資本主義経済の名のもと、経済が政治と文化より優先される社会に終わりを告げ、これからは文化を優先して政治と経済をつくりかえる時代に突入していくのではないか。そこで形作られるのは文化圏を中心に政治/経済的な生態系を築く自治区。ここではMAD Cityと呼ぼうと思う。語弊を恐れずに表現するならば、MAD Cityにはある意味でバグった(個の観点を追求し、実践を重ねることで生み出される)視点から理想郷を実現すべく奔走する人物たち、MADなひとたちが存在する。 MAD Cityにとっての次なる刺激を探し求めて、まちづクリエイティブの代表、テライマンこと寺井元一氏が自治区の更なる進化形を探求すべく、MADなひとたちに会いにゆく連載企画。

第2回目では、神戸市長田区の川沿い側・六間を拠点にした多世代型介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」をはじめ、介護事業、不動産事業、教育事業など次々に展開する株式会社Happy代表首藤義敬さんに話を伺った。「はっぴーの家」のリビングに足を踏み入れると、居住する高齢者だけでなく、近隣に住む子どもたちやワークスペースとして活用する若者、そしてマイクロブタまでが同じ空間に存在する。広場のように多様な人が行き交うカオスな場所を立ち上げて10年。前編では、首藤さんの子ども時代から「はっぴーの家」が生まれる背景や、誰もが訪れる居心地のいい場をつくるために重視していること、守りたいカルチャーを維持する方法についてなど。

photo: Ryo Yoshiya
Text: Yoko Masuda
Edit: Moe Nishiyama

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◎「みんなで一緒に遊びたい」リアリティのある事業が発生するまで

首藤義敬(以下、首藤):寺井さんとはおそらくお仕事がとても似ていますよね。僕はもともと不動産業をやっていたわけではありませんでしたが。

寺井元一(以下、寺井):僕は兵庫県の伊丹生まれで、阪神大震災が起きた高校生の時には神戸の学校に通っていました。長田区のほうはほとんど行ったことがなかったですが、差別の歴史や、それゆえに木造密集していた住宅街が震災で甚大な被害を受けたことが強い印象になっています。生き埋めになった人たちが家族のすぐ側で焼け死んでいった場所だ、という。一方で僕も被害の大小あれど被災者ですが、被災した人たちがそのこと自体でただただ不幸せだったのかというと、ああいう皆で助け合って生きる社会は、生きる幸せを再認識する機会だった気もする。だから長田区って日本で最初のコワーキングスペースができた場所でもありますが、いろいろといま重要な取り組みが生まれている震源地のような予感がするんです。そういう場所で、はっぴーの家は何をやってるのか見たかった。またはっぴーの家は民間ホスピスとして、とても重要な役割を果たしていると思います。特にコロナ以降は、死に際までいつでも家族と会うことのできる終末医療のニーズが増えたと思うんですが、それもあり多くの高齢者とその家族から受け入れを相談されるようになったと伺いました。こういった事業を展開する首藤さんはそもそも何者で、どのような経緯でこの事業をスタートしたのでしょうか?

首藤:僕は何者でもありませんでした。小学校3年生で阪神・淡路大震災が起こるまでは、いわゆる裕福な家庭で育ちました。このエリアは元々自営業の人が多く、僕の祖父は会社をいくつも立ち上げている今でいうところの連続起業家。家の近くにある社宅には「はっぴーの家」のような大きなリビングがあり、年齢・国籍を問わず様々な人が住んでいたり、泊まりにきたりする場所で暮らしていました。ところが、震災でまちが燃えてしまい、会社もなくなってしまった。ちょうどそのあたりの時期から、家や学校と衝突していました。初めての仕事はそんな荒れた小学5年生ごろだったと思います。

寺井:それは早いですね。どのような仕事をしていたのですか?

首藤:ゲームの裏技を教えて、お小遣い稼ぎをしていました。稼ぎたかった理由は、みんなで一緒に遊びたかったから。このまちは昔から貧富の差が激しいエリアで、小学校でもゲーム機を持っている子と持っていない子がいて、持っていない子とは遊べない。それが嫌でみんなでゲームで遊ぶにはどうしたらいいんだろうと考えた末に、みんなで稼いでゲーム機を買えばいいんだと思いついたわけです。

おそらく当時考えていたことは今の仕事のスタイルと大きく変わりません。自分の周りにいる人のやりたいことは、「一緒にやろうよ」と言いたい。一緒にできない理由があるならば、その課題を解決する方法を考えたり、お金を稼ぐ仕組みを考えたりする。たとえば今もはっぴーの家から派生して障がい者福祉の仕事をしているのですが、車椅子のおじいちゃん、おばあちゃんと山に登ったりサウナに入ったりしています。これも、そういった福祉サービスをやろうと思ってやっているわけではなく、「一緒にやりたい」と言ってくれたのに、できないのが嫌だからできるかたちを模索した結果なんです。

寺井:なるほど。中学生の頃はなにをしていたんですか?

首藤:家出をしていましたね。震災の起きた場所ではよくある話ですが、被災地の中小企業の人たちは震災後、5〜10年経つと裁判沙汰の問題が増えていくんです。うちも同じような理由だったのだと思いますが、家に帰ると家族が弁護士と罵り合っていることが増えて、それが嫌で家に帰らなくなりました。友だちの家を泊まり歩いていたのですが、それも長く続けることは難しい。パートナーであれば仮住まいではなく一緒に住まうことができると考え、年上の彼女と出会い、家に住まわせてもらえるようにと料理や家事を覚えるようにしました。

これもはっぴーの家と同様の構図で、僕は子どもの頃から暮らしをだれかに依存しているんです。今も、子育てと介護をこの場所にいい意味で依存している。自分の人生のなかで「こういうものがあったらいいのに」と思うものをどうにかかたちにしたいと考え続けている。自分の人生と密着した事業だからこそ、はっぴーの家の事業はリアリティがあるのだと思います。

寺井:たしかに、大人数で暮らす、というところから始まり、まさに自分たちで種を植えて、自分たちで育てた手触り感のある事業を展開されていますよね。

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首藤:事業を展開していくなかで一貫して大事にしているのは、自分がいいと思えるだけではなく、自分以外の人もこの場所をいいなと感じられる場所にすることです。もらうだけの関係ではお互い気持ちがよくない。僕の2人の子どもははっぴーの家で育ちましたし、祖父母はこのコミュニティ内で看取らせてもらいました。僕自身もここで色んな出会いがあって、この場所で好きなこともできるし、やってみたいことも生まれ、ある意味わがままに暮らせている。その一方で、自分以外の人もここにいたいと感じられる場所にすることをとても大事にしています。

寺井:その後は何をされることになったんですか?

首藤:高校生のとき、初めて給与をもらう「仕事」をすることになりました。それが、カウンター8席とボックス席がいくつかあるカフェでコーヒーを淹れる仕事。調べることが好きなのでコーヒーにのめり込み、色んなことを学びながらお金をもらえるっていいなと思いながら、毎日カウンターにくるお客さんの接客をしていました。ところが、ゆるやかな時間が流れるカフェの8時間が徐々に長く感じるようになり、しんどくなってくるわけです。そこで、この8時間を短くする方法を考えた結果、忙しくしたらいいんだなと思った。このカフェでコーヒーを淹れる以外に自分ができることはなにかと考え、お客さん同士のマッチングやイベントの開催をはじめました。たとえば、イラストを描くのがうまい方がいて、絵を描いてくれる人を探している人がいたら、そこをつなげるなど。そのうち店が満席になるようになりました。

寺井:なるほど。スナックのマスター修業みたいなことをカフェでやっていたわけですね。

首藤:そうそう。当時の経験は今の仕事のベースになっていると思います。カフェで3年くらい働いた後、夜の営業もやってみようとバーの接客業を始めました。カフェと同じカウンターにもかかわらず、全く異なる世界で楽しかったですね。昼はカフェ、夜はバーで働く生活を3年ほど続けました。

その後は自分は仕事として何がやりたいのかを考えようと、求人誌に載っている仕事を片っ端から40個くらい試してみました。仕事は好きだけど、サラリーマンは向いていないということに気がついたのもその頃です。その後今のパートナーと結婚することが決まり、当時ずっと距離を取っていた両親から祖父母が認知症だから最後に一緒に暮らさないかと言われたことを機にひとまず作った名刺に書いた肩書きが、不動産の空き家コンサルタントでした。というのも、新長田に戻り十数人で暮らす生活が始まってみると、まちには空き家で困っている人がたくさんいるということを目の当たりにしたんです。震災後に駅前は開発されたけれど、このあたりは道が狭く再開発が難しいせいか、まだ長屋が残っていました。歴史的背景からまち自体がもつ印象があまりよくないこともあり、リノベーションしても使い手が決まらず困っている。それなら手伝いましょうかと友人を呼び、リノベーションしてお客さんをつけるという仕事を始めました。その活動が評判を生み、遊休不動産の活用の相談にのってほしいという仕事が来るようになった。

その頃に関わった仕事にはっぴーの家をつくるきっかけになっている出来事があります。長屋の改修をし、そこには独居のおじいちゃんが住んでいました。酒癖があり、家賃も対面でもらっていたので月に1〜2回会いに行っていたんです。半年ほど経った頃、彼は身体を悪くして入院するんですが、帰ってきたら車椅子だったんですよ。バリアフリーにしないと住めない。その家が好きだから住み続けたいと言うので、大家にバリアフリーにする相談をすると、お金がかかるから家賃が上がるという話になり。彼は泣く泣く施設に行くことになりました。その家にすごく住みたそうだったからなんとかしてあげることはできなかったのかと落ち込みつつ反芻していて。そうしたら彼の家に週に2〜3回看護師やヘルパーがきていたと思い出したんです。合計すると意外にお金がかかっていた。もし僕が彼に対してソフト面とハード面のどちらのケアもすることができれば、彼はあの家に住み続けられたのかもしれない。当時は自分自身が当事者ではないので行動には移しませんでしたが、数年後、自分自身の子育てと介護が重なったときにこのことを思い出しはっぴーの家の構想に役立つことになりました。

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◎周辺20分圏内にもたらす変化をデザインする

寺井:なるほど。はっぴーの家のことが少しずつ理解できてきました。そもそも首藤さんが、他の人にはない人生を歩まれているので、株式会社Happyの追随はなかなかできないだろうなと。視察も多いと思うのですが、多くの人は視察をしても何を見ればいいのかわからないだろうなという感覚が1番にありました。ちなみにたくさんの事業を行っていますが、どのような思想が軸になっているのでしょうか。

首藤:端的に表現するなら「遊びに来る場所」。夜のはっぴーの家はとくに面白いと思います。まちの人からするとこの場所はもう1つのリビングなんです。子どもが宿題している横で体操している人がいて、さらにその横では女子会が行われている。看護師と介護士が明日のケアのことを話し合う場にその当事者が入っている。おばあちゃんが酒を飲み、鍋をつついている。まちの人だけでなく、遠方からも神戸にいくならとはっぴーの家に行こうと遊びにきてくれる人もいます。

新たに事業をはじめるときは、常に「周辺20分圏内がどう変わるのか」をデザインするようにしています。このエリアははっぴーの家があるから、10年間で移住者も面白い場所も増えている。僕らは家を紹介するだけではなく、一緒に事業づくりをすることもありますし、その人が子育てをしていたら、子どもの友だちを見つけてあげたり、仕事を紹介してあげたりします。

最近は「はっぴーの家・離れ」という不動産事業を展開しています。高齢者や障がいのある人たちは、一般賃貸の審査が通らず、彼らは一人暮らしを諦めています。でも、グループホームが苦手な方もいるじゃないですか。僕らが入口になることで、物件オーナーに納得してもらい、一人暮らしができるようになる。また、たとえ一人で暮らしていても日常のコミュニティは大事です。「離れ」に住む人も、週に3回くらいははっぴーの家のリビングに遊びに来る時間があり、イベントにも参加できる。

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◎誰もが入ってきていい場所。はっぴー流「公園」のつくりかた

首藤:誰もがきていい場所をつくるには、順序があります。仕組みと場所を準備して使ってくださいねと言っても使われません。

まずは、「打ち上げ花火」のようなイベントを開きます。場所の使い方を示し、一気に風呂敷を広げるための起点をつくる。ところが、大きな可能性を示されるだけでは、人はついてこれません。そこで、距離感を縮める使い方を示すのが次の段階です。日常的にはこんな使い方があるよねと、小さな事例を継続的につくり続け、その場所のスタンスを提示し、「景色」にする。そうすると、徐々にみんなが勝手に使い出します。

たとえば、はっぴーの家のガレージもその順序を踏み、みんなが勝手に使う場所になりました。コロナ禍の頃、高齢者が外を歩くと、気を遣うからだと思いますが、嫌な顔をされることが度々ありました。世の中ではソーシャルディスタンスといい、グランピングや自然遊びが流行しましたが、高齢者や障がい者が遊びに行く場所があまりない。そこで、一番近くにある屋外のガレージをグランピングができる公園のような場所にしようと思ったわけです。でも、いきなりこの場所で多世代でチルしてくださいねと言っても難しい。まずは、発起人である僕が打ち上げ花火的にテントサウナのイベントを開催しました。サウナ好きだけでなく、子どもや認知症のおばあちゃんまでサウナに入って、チルして楽しんで。その後は、2日に1回くらい、ガレージでBBQをしたりコーヒーを淹れたりしていました。そんなことを、1ヶ月半ほど続けていると、その光景は徐々に当たり前になります。まずは子どもたちがガレージで遊びはじめ、大人がガレージでこんなことやっていいかと聞きにくる。今では僕が帰ると、まちの人がガレージを勝手に使って集まっています。

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首藤:とくに打ち上げ花火のようなイベントをつくるときに意識しているのは「少しずれていること」と「入り込める余白があること」。そのために、イベントをつくり始める時点で、きてほしい人3人を決めてしまいます。1人に向けたイベントはニッチすぎるんですが、マスに向けたイベントは薄い内容になる。なので、異なる3人に喜んでもらえる共通点を見つけ、企画にします。そうすると、オリジナルでピンポイントだけれど社会と繋がる企画になる。さらに3人それぞれの友人、さらにそのまた友人と、3人を起点に人が集まるので集客も不要になります。

寺井:僕も自身がまちづくりをする千葉県松戸市でイベントや企画づくりをして、日常的に人が集まる場を作れた経験があるんですが、場を作ったあと、自分が身を引いただけでその場が維持されるかというと難しいこともあるように思います。そういったことにはどう対処しているのでしょうか。

首藤:僕の役割は「調子に乗らせること」と「謝ること」。誰かを調子に乗らせれば、そこに主体性が生まれますから。でも、人は調子に乗ると時々やりすぎることがありますよね。それが原因で周囲に謝ることもあります。実際に起きたのは、帰ったら子どもたちがガレージでナイヤガラ花火をやっていて。内心では「やりすぎだろ」と思いながら「何しているのか」と聞くと「このおじいちゃんがあと3か月で死ぬから花火大会に行けない。だから花火大会を開いている」と。そんなことを言われたら何も言い返せませんよね。こういうことが起きるのは、人の主体性ありきなのでいいことなので尊重したい。その代わりにまわりの人に迷惑をかけたら謝るのが僕やリーダーの仕事だと思います。

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◎トラブルを愛する。カルチャーをつくり、守ること

首藤:僕の性格的には、物事がうまくいっているとモチベーションが下がるんですよ。トラブルが大好きなので、自らトラブルを起こしにかかることもあります。うまくいっているときが一番危ない。なぜならそこからは衰退しかないから。トラブルが起きたときに、それが収束していく過程で場やチームは強くなると思うので。

寺井:具体的にはどのようなトラブルを起こしているんですか?

首藤:最近平和すぎたので、マイクロブタを飼い、はっぴーの家のなかを走らせてみることにしました。今のはっぴーの家は、カルチャーができているから、いろんなことがうまくいくようになっています。子どもたちと高齢者と若者と外国人が楽しそうに過ごしている。そうなると、次のフェーズで、人は効率的にするために仕組み化し始めます。すると、このチームやコミュニティは、僕らが大事にしているカルチャーと異なる方向に進んでいく可能性がある。なので、そこで全然関係のない問題を起こすことで、自分たちは何を大事にしていたっけと立ち戻るきっかけをつくります。それでブタを走らせたわけですが、ブタは予想外に早く場に馴染んでしまった。

また、トラブルを通して「考えさせる」ことも大事なこと。関与者も増え、チームビルディングが必要なときだからこそ、自分たちの組織がなにを大事にしようとしているのかをトラブルの中から抽出し、共有していくように心がけています。ブタでいえば、名前をSNSで募集してみんなで考えました。最終的には、ラッキーとナイスと名付けたんですが、その理由も全員に向けて説明したんです。1つはこの場所には色んな人がくるから覚えやすいことが大事だということ。もう1つは、人の死が身近にある環境だからこそ、ブタが走り回り、ラッキーラッキー!とポジティブな名前が飛び交うことで空気をやわらかくするかもしれないこと。向き合っていく課題が重たいからこそ、スタッフの雰囲気やマインドを明るくやわらかくなるような空気を醸成できるようにと考えたんです。

寺井:この場所は首藤さんの発想力と人間力と体力というタフネスに全てがかかっているという言い方ができるようにも感じるのですが、とすると、周囲の人が首藤さん目掛けてくるのでは?

首藤:当初はそうでしたが、今は会社の具体的な業務を僕はほとんどやっていませんね。毎朝入居者40人分の牛乳を買いに行くことくらいです。僕の役割は「困ったことがあればここに頼ったらいいかな」と思われるような事業の概念的な部分をつくることと、とても大事な瞬間である最後の看取りやお別れ会のプロデュースをすること。お別れの仕事は、ご本人とのコミュニケーションはもちろん、家族とのコミュニケーションも担います。これは人の死という、ある意味ではとても辛い状況を、いい思い出に変えられるとてもやりがいのある仕事です。家族によって考え方が全く異なるので、そこに介入し、一番いい形にする役割はほかの人には任せづらいところではありますが、マインドが伝わっているスタッフにも徐々に託しつつありますね。

後編に続く〉

※本記事はmadcity.jp および M.E.A.R.L の共通記事となります

プロフィール

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首藤義敬

株式会社Happy代表 1985年生まれ。兵庫県出身。自分と関係者のために正解ではないかもしれないが、暮らしの選択肢を創る会社Happyを設立。自身も育児と介護のダブルケアを抱え、多世代介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」という新しい仮説を実践しながら検証中。企画段階から保育園児・学生・主婦・クリエイター・外国人等、多様なバックグラウンドをもつ地域住民で事業計画とコンセプト策定を行う。現在は地域のセーフティネットとしても機能している。

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寺井元一

株式会社まちづクリエイティブ代表取締役/アソシエーションデザインディレクター、NPO法人KOMPOSITION代表理事 統計解析を扱う計量政治を学ぶ大学院生時代に東京・渋谷でNPO法人KOMPOSITIONを起業し、ストリートバスケの「ALLDAY」、ストリートアートの「リーガルウォール」などのプロジェクトを創出した。その後、経験を活かして「クリエイティブな自治区」をつくることを掲げて株式会社まちづクリエイティブを起業。千葉・松戸駅前エリアでモデルケースとなる「MAD City」を展開しながら、そこで培った地域価値を高めるエリアブランディングの知見や実践を活かして全国の都市再生や開発案件に関わっている。 MAD Cityは空家の利活用に関わる不動産、アーティストやクリエイターとの協業、ローカルビジネスの起業支援、官民連携のプラットフォーム、居住支援法人に転換したKOMPOSITIONによる福祉ケアなどからなる複合的なサービスを提供しており、2023年には国土交通省「第1回地域価値を共創する不動産業アワード」中心市街地・農村活性化部門優秀賞を受賞した。

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