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「松戸の原住民」稲葉八朗〈前編〉

千葉県松戸市。かつて「松戸の原住民」と自称する男がいた。彼の名は稲葉八朗(いなばはちろう)。家業の和食屋を4代目として継ぎ、その和食屋を蕎麦屋・天丼屋・寿司屋・うどん屋・鰻屋へと独立展開させたグループの経営者である。一方で、豪快かつ破天荒な性格でまちに数々の伝説を残した男としても知られる。時に道路を占拠し、市役所を言い負かし、さらには祭礼を復活させたという。雪駄でまちを徘徊し、ワンブロック先にいてもその気配を感じさせる存在感を醸し出す。そして複雑なものにこそ熱中する気質で、飛行機にサイドカー、パソコン、歴史、絵画、写真、茶など数々の趣味をもち、独自に極め続けた結果、その域は趣味のレベルを逸脱する。

一度お会いしてみたいところだが、残念ながら稲葉氏は2020年12月に79歳で亡くなった。もう会うことができないが故に、真偽を疑うような数々の偉業(?)や噂を耳にすればするほど、より謎が深まる未知なる人物・稲葉八朗。そこで、彼と以前から親交があったというまちづクリエイティブ代表・寺井元一に話を聞いた。寺井氏は、彼の起こした騒ぎにはなにかしらの意味があり、それを1つずつ紐解くと、まちづくりにおいて重要なヒントを残してくれていたようにも捉えることができると語る。本記事では、稲葉氏のご家族から資料をお預かりしたうえで、前後編に分け、寺井氏視点の「稲葉八朗」についてお届けする。

Text: Yoko Masuda
Edit: Moe Nishiyama

若き日の稲葉八朗さん

若き日の稲葉八朗さん

・雪駄で歩くのでカツカツ音が聞こえる。声がでかくてワンブロック向こうでもわかる
・心も体も前のめり。実際に雪駄の前が擦り減っている
・現金を持ち歩いていないのですべてツケで飲み食いする、支払は奥さんが店を回る

◎同じ原住民としてインディアンにリスペクトを。
「松戸の原住民」稲葉八朗とは。

稲葉八朗さんを一言で言い表すならば「松戸の原住民」。本人も自称していたと思います。稲葉さんは「松戸の原住民」としてアメリカ先住民・インディアン*1 をリスペクトしていました。歴史を深ぼることが趣味の1つである稲葉さんは、彼らの歴史も紐解き、その土地に元々住んでいた同じ「原住民」として共感する部分を持っていたのだと思います。余談ですが、デジタルオタクでもある稲葉さんは、インターネットが誕生する以前の「パソコン通信」時代からパソコンに触れていて、自身でC言語を操りホームページを作ってしまうようなおっさんだったんですね。そこでインディアンを尊敬するあまり彼は部族名のアパッチ(Apache)などインディアンに関連するネット上のドメインを所有していると言っていました。

稲葉さんと出会ったのは2009年秋、まちづクリエイティブを立ち上げる前のことです。自身、当時は渋谷区を拠点に活動していたのですが、「自治区」をつくりたいという思いで拠点を探していた折、まちづくりのコンサルタントである西本千尋さんに紹介されたのが松戸で、そこで「はっちゃんに会うべき」と紹介されたのがはっちゃんこと、稲葉さん。以降、毎週松戸に足を運ぶようになります。

僕が考える自治区論は1789年7月14日から1795年8月22日にかけて起きた市民革命に遡りますが、フランス革命後に発生した近代国家に適合できなかった人々の集団が僕のいう「自治区」の始まりなのではないかと考えているんです。要するに国民と国家という近代国家構造の成立とともに、それにはまらない集団の形式として生まれたのが自治区。例えばアメリカとカナダの国境に現存するアメリカのイロコイ連邦はインディアン居住区として知られていますが、インディアンを尊敬している稲葉さんは、インディアンが自分たちの居住区を自治するように「松戸の原住民」として、自分たちのまちを自らの手でかたちづくりたい、成り立たせていきたいと考えていたのではないかと思います。現に松戸に通い始めた当初、稲葉さんに「自治区」を作りたいという話をした際に言われたのが「俺は原住民、お前はある意味インベーダー(侵略者)。でもお前は、異星人だ」という言葉。彼の理論では、今のアメリカに異星人が攻め込んできたら、インディアンはアメリカ合衆国を打ち倒すために異星人と手を組むはずで、お前は俺の味方だと言っていた。じゃあ彼が誰と闘っていたのかというと、どうやら明治政府なんですね。

そしてJR松戸駅前を中心とする半径500mをコアエリアに設定した自治区「MAD City(マッドシティ)」の構想について話すと「いいぞいいぞ」と。さらにそのロゴを貸せと言い、稲葉さんが所有するガレージ(神酒所、のちにまちづ社の事務所)にロゴをドカンと貼った図を作り、もってきてくれたんです。要はこういうことだろう?と。確かにそういうことですと答えた記憶がありますね。考えるよりも行動し、まずは看板を立ててその場を作ってしまえと背中を押してもらいました。また渋谷のまちづくりの一環で実施した「リーガルウォール」*2プロジェクトについて話すと、まちの配電盤に自由に描いてきていいと許可してくれて。稲葉さんにはもちろん配電盤に関する何の権限もないはずなんですが、実際に配電盤に色を塗った経験があると言っていた。後述しますが確かに配電盤を勝手にアレンジしていたんですね。そしてそのときの松戸には、稲葉さんがやっていいというならやっていいんだろうという空気があった気がします。カリスマ的な存在でした。そこから毎週のように会っては遊んでいましたね。

*1  アメリカ先住民のうち、エスキモー・アレウト人を除く諸民族をさす。メキシコ以北の諸民族をインディアン、ラテンアメリカの諸民族をインディオと呼び分けることが多い。
*2 渋谷・旧宮下公園の一部やセンター街のビルなどの壁面を、若手アーティストのキャンバスとして開放することで、落書き防止に貢献しながらアーティストを支援するプロジェクトとして実施。

・若い女の子と会うと、サイドカーに乗せて駅前を爆走する
・筏(いかだ)をつくって江戸川に進出。進水式をシャンパンか何かで行った後、浸水して沈没、死にかける
・12月に遠州屋平野さんとヨットで霞ヶ浦に行き、ライフジャケットもつけず横転して死にかける

◎路上キャッチボール!稲葉流・まちの守り方。

まちに住む人の目線、要はヒューマンスケールの視点をもち、よりよいと思う方へと主張し、行動するのが稲葉流。時には自治体が主導する形式ばったまちづくりに異論を唱えることもありました。やっていることは無茶であっても、その視点には僕自身も周囲の方も共感するところがあり、彼と一緒に時間を過ごしていたように思います。

とある日、稲葉さんに「ちょっと付き合え」と呼ばれ、ついていくと道路でラグビーボールと野球の軟球でキャッチボールをするぞと。脇道ならまだしも、そこは駅前の車道。その道は松戸駅から江戸川へ、つまり東京方面に伸びる松戸市の「シンボル軸*3」で、駅と反対側にはバスがバンバン通る大きな道が通っています。「この場所は勝手に道にされたのだ。この場所は俺たちの土地だということを忘れないために路上キャッチボールを定期的に行うんだ」と稲葉さんは言うわけです。投げたボールが逸れてバス通りに飛んで行ってしまったら、本当に事故が起こるかもしれない。緊張しながらキャッチボールの相手をしたことを覚えています。

また国からの助成金や補助金などを使い、金を稼ごうとする行為に対しても敏感に反応するのが稲葉さんでした。例えば、上記のキャッチボールの道は以前アーケードが覆っていたそうです。しかし稲葉さんが「空が見えないなんて良くない」と、アーケードを撤去してしまった。そもそもアーケードを作ると特定の業種が儲かるなど、補助金ってどこかでそういう力学もあるんですね。楽して補助金がもらえるようになればなるほど、事業者の実際の活力は落ちていくというのもよく言われることです。そういったことに稲葉さんは反対していました。個々に生き延びることのできる個店が集うのが商店街であって、補助に頼って群れるぐらいなら商店街なんて解散だ、と商店会長のくせに言っていた。

市役所の整備事業で、シンボル軸近くの歩道には花壇が設置されています。ごく普通の花壇だけど、稲葉さんが経営するお店の前だけ少し違う。というか、明らかにいい感じになっているんです。道を渡ってお客が行きたくなる店にしたいから、稲葉さんはいつも自分の店の道の反対側から店を眺めるそうなんです。そのとき、つまらない花壇だったから、困ると。自分たちの家や店の前にあるのだから、自分たちが活用し管理するのがいいのだと仰って、好きなものを植えはじめた。おそらくそれで今も低木とかが育っているんです。右隣のグレーの配電盤もかつては勝手に緑化されていました。しまいには稲葉さん、みんなで食べられていいじゃないかと思ったかどうか、唐辛子とかも育てようとしたらしい。そうしたら、市役所の人が飛んできて勝手なことしないでくださいと怒られた。まちづくりでは最近では「EDIBLE」という概念がありますが、公共空間には食べられるものを植えたらいけないという決まりがあるんです。とはいえ、どうして自分の店の前の花壇すらも自由にできないのだと頭にきた稲葉さんは市役所に通っては植え込みや花壇に食べ物の種を蒔きまくって抗議活動をしたと聞いています。いまでいうゲリラガーデニングですね。

もう1つ稲葉さんとの思い出深い出来事は、道路標識を綱引きした日のことです。同じくお店の前に立つ道路標識が、車の衝突かなにかで曲がってしまっていました。それが気になった稲葉さんはまっすぐに直そうと周囲の人に声をかけて人を集めます。道路標識に綱をかけ、綱引きのようにみんなで引っ張りますがびくともしない。最終的には軽トラに綱をかけ、車道を行き交う車の通行を止めてまで引っ張りますが直らない。道路標識って車がぶつかっても折れちゃいけないからすごく弾力性があり、本当に90度ぐらい、つまり地面に並行になるぐらい曲がるんですね。「折れる!危ない!」みたいに皆が言うなかで引っ張るのを止めると、ぶるんぶるん震えて、形状記憶合金みたいにピッタリと元の曲がった状態に戻るんです。当然ですが野次馬が集まって車道も大渋滞。祭りが行われているかのような騒ぎと異常な混雑具合でこのままでは警察を呼ばれてしまうと焦る周囲の心配をよそに、稲葉さんは直らない標識に怒り心頭で逆に警察に「道路標識が曲がっていて直らない。お前らが直さないからだ」と逆ギレのような一喝の電話を入れていました。その場はそれで解散。1ヶ月ぐらい経ったら、道路標識がまっすぐになっていてびっくりした記憶があります。

*3  シンボル軸とは、地域の顔となる街路のこと。松戸市におけるシンボル軸は、相模台地区から松戸駅を経て、江戸川に向かう地域の中心軸となる街路。

稲葉さんが唐辛子や枝豆を植えた花壇。右が今はまっすぐになった標識。現在この低木は伐採されている。


稲葉さんとの思い出を中心に寺井氏が書き込んだ松戸駅前地図。このなかに稲葉さん家族の店舗が当時6つあった。

・ゼロ戦好きで飛行機に乗りたくて、アメリカでセスナの免許を取り空を飛んできた
・途絶えていた祭礼を復活させる荒業を行った地域的怪人
・県道にてラグビーボールと軟球でキャッチボール

◎稲葉さんに事務所を借りて。遊び集える場をともに生む

話は戻りますが、まちづクリエイティブの最初の事務所は稲葉さんが所有していたガレージでした。当初稲葉さんは、そこは神社の祭礼の時に神輿の置き場になる重要な神酒所で、かついずれホテルを建てるつもりらしく、エントランスとなる大事な場所だから誰にも貸さないと言っていた。でも祭りは年に2度しかないし、それ以外は稲葉さんの趣味のサイドカーやバイクの置き場になっている。年に2回の祭りは手伝うし、祭りの際は一時退去するので、残りの空いている期間を貸してくださいと話すと、了承してくれました。そのガレージは稲葉さんの社長室のすぐ裏手にあったので、ここだったらすぐに遊びに来れるしいいなと。最初の契約書は「年に2回退去すること、その代わり事務所においていた荷物の置き場がなくなるので稲葉さんの空きスペースに置かせてもらえる」という、奇妙なものになりました。あと、ガレージにはサイドカーに紛れて祭りの時に使っているというビールサーバーが置いてあったんです。それは撤去せずに置いておいてほしいと頼み、ビールサーバーの横に貯金箱を置いてゆるいカンパ方式で、事務所でビールが飲めるようにしました。稲葉さんがたくさん飲んでくれるんじゃないかと思ったら、案の定頻繁に遊びにきてくれて。ビールを飲みながら、色んな話をしたりふざけたりしましたね

稲葉さんが所有していたガレージ。神酒所の什器にくわえてサイドカーが見える。手前はビールサーバー。

ガレージにできたまちづクリエイティブ最初のオフィス


事務所はイベントスペースを兼ね備えたオフィスとして活用していて、内装はDIYで壁を塗り海外のアート作品を運ぶ大型什器をもらってきて可動壁を設えました。夕方になれば飲み会が始まり、アーティストを呼んだイベントや展示を行う場になります。というのも「MAD City」という架空の街を作っても、僕らがここにいますと伝えなければ誰も来ないし、住みたい人も現れない。何をするのが正解かどうかはわかりませんでしたが、ひたすら自分たちの考えや理念が伝わるようにとイベントを開きまくりました。例えばとあるイベントでは暗黒舞踏のパフォーマーと「渋さ知らズオーケストラ」の不破大輔さんなどが出演してくださってライブを開催したことも。そういう場にも稲葉さんはよく遊びにきてくれました。稲葉さんがイベント中に高さ2m近い可動壁の上に乗って写真を撮っていたこともありましたね。グラグラ揺れていて、稲葉さんが落ちたらどうしようと思った記憶があります。

また、ここはそもそも神酒所であり、かつ稲葉さんがよくいることもあり、町内会のイベントや飲み会も頻繁に開催されていました。稲葉さんのやんちゃな誕生日会もこの場所で行われたことがあります。巨大なたい焼きを建物の外の路上に敷いたシートかなにかの上に泳がせる。稲葉さんは釣りをするので、そのたい焼きを屋内から釣竿で釣ってもらうと(笑)。釣ったら、稲葉さんが経営する寿司屋に連絡しはじめて、たい焼きを3枚に卸せと言い出して。わざわざたい焼きが寿司屋に持ち込まれて、板前によってキレイに卸されて戻ってきて参加者みんなで食べる。そんな冗談みたいな集いがこの場所ではよく行われ、憩いの場になっていましたね。

稲葉さんの誕生日会。稲葉さんの釣竿は路上のたい焼きに繋がっている。

稲葉さんが江戸川の河川敷に打ち込んだ看板

稲葉さんが人道橋をかけようとしていた江戸川

・江戸川河川敷に屋根付きの看板を打ち込む
・松戸市の対岸にある東京都の水元公園を取り戻す活動
・人道橋を掛けてシンボル軸を対岸まで繋げようとする。20億円でできることがわかる。
・水元公園での実効支配のためのBBQ

◎歴史から自分の位置を捉え、主張すること

破天荒な出来事を起こす反面、茶道、絵、歴史、カメラ、サイドカーなど文化的な趣味をたくさん持っている。どれもそこそこで終わらず、研究を重ねていました。長く連れ添ったパートナーの愛子さんによると、子どもの友人たちが「稲葉さんの話を聞きたい」と自宅に集まることもあったそう。

また趣味といえど歴史を研究することで、稲葉さん自身の歴史を遡り今の自分の位置を捉えた上で主張や考えを展開していたのだと思います。その様子は稲葉さんが書き残した旅行記「ドイツ見聞録」「朝鮮漫遊記」からも読み取れます。自分の旅行記なのに、その国の歴史を石器時代から遡り紐解いている。連綿と続いてきたこれまでの積み重ねをぶったぎることなく活かして自分なりの思想をもっている人だったのだと思います。例えば、この土地は元々は徳川の土地で、徳川とともに歩んできたのに、明治政府に色々なものを取られてしまったと。明治政府に物申したいし、取り返したいと思っている。江戸川の対岸にある金町も俺たちのまちだから取り返すために橋をかけると。駅から伸びるシンボル軸は川の向こうまで続いているといつも話していました。

紀元前60万年前から年表がはじまる稲葉さんの旅行記

・道路標識が曲がっていて直せないため、人を集めて軽トラ含めて綱引きをする。
・配電盤を塗る、だけでなく植栽を巻いた。
・隣の店舗(薬局)がはみ出すのを市が何もしないので、デッキ上に黒スプレーでラインを描く

◎松戸まちづくり会議発足。稲葉八朗氏、代表就任!

稲葉さんと日常の遊びごとを超えた仕事で深く関わったのは、松戸市で2010年から実施していた「松戸アートラインプロジェクト」。松戸市内の公共空間や民間空き店舗を会場として活用し、アーティストによる作品展示、ワークショップなどを行う活動です。僕は2010年から「松戸アートラインプロジェクト」に企画で携わり始め、その後3回行われる「松戸アートラインプロジェクト2011」「松戸アートラインプロジェクト2012 暮らしの芸術都市」「松戸アートラインプロジェクト2013 暮らしの芸術都市」では事務局を務めました。

3年目にあたる2012年からは「暮らしの芸術都市」というサブタイトルが加わっているんですが、これは住民を巻き込んだ365日のアートプロジェクトを構想したものでした。その実現のために取り組んだのが新たな主体として「松戸まちづくり会議」という町会を束ねた組織を発起すること。稲葉さんに代表に就任してもらいました。イベントや展示など一時的な企画で人を集めるまちづくりではなく、日常的に松戸内外の人がまちに関わり、まちをより面白くしていこうとすることが重要だという思いがあり、僕のなかではゆくゆくはこの組織が「自治区」を構築するにあたり、その中心を担うと構想していました。アートプロジェクトの日常化には行政および民間事業者や地域住民の参画が必要だと考えていたんです。稲葉さんは感覚でそこまで理解してくれていたと思います。

当時、アートディレクターを請けてくださった毛利嘉孝さんが、以下のようなテキストを書いてくださいました。「「松戸アートラインプロジェクト2011」のテーマは、暮らしの芸術。ここで重要なのが芸術のある暮らしではないということです。芸術のある暮らしは、絵画や彫刻、デザインなどの芸術が私たちのまわりに入り込んでいる生活を指しています。暮らしの芸術は、そうではなくて、〈暮らすこと〉、〈生きていくこと〉といった私たちみんなが日常的に行っている生活の営みを芸術として捉え直そうという試みです。私たちは、今生きることさえも難しい時代に直面しています。世紀をまたいだ長引く不況に加え、3.11で東日本を襲った震災とそれに続く原発事故。21世紀、私たちはどのように生きればいいのかという根本的な問題を提起しました。私たちは、もはや20世紀の時代のように生きることは難しいのかもしれない、生き方そのものを考え直す時代が来ているのです(一部抜粋)」この精神はいまも通用すると思います。

2011年の開催を経て、気づいたことがあります。まちにとってイベントは日常ではなく非日常なんです。イベントがある日だけ人がきて、なければ人は来ない。それは規模に関わらずどんな催し物でも起こる話ですが、アートプロジェクトも同様。アートプロジェクトがないとアーティストも観覧者も来ない。地域の人たちは「俺たちはこのまちにずっと住んでいるのに、たかが1カ月イベントをやったくらいで、なにがまちづくりだ」と思うわけです。たしかに住民にとっては一時期よそ者が来て騒ぐイベントは自分たちには関係ないし少し迷惑にも感じる。その意見に納得すると同時に気がついたのは、自治区には住民が必要ですが今はその「自治区の住民」がいないのだということ。どうしたら住民が増えるのかと考えていくうちに、アートプロジェクトを非日常ではなく日常の取り組みにすればいいのではと思い至ったわけです。しかし日常的な取り組みとしてアートプロジェクトを地域に浸透させていくためには、民間の小さい企業だけでは影響範囲が小さく、難しい。そこで町内会の人たちとともに取り組めることはないかなと思い、事務局として松戸市から預かっていた予算を町内会の人たちとシェアしてなにか一緒に活動できないかと提案したのです。松戸市も協力してくれることになり、11の町内会長と事務局のまちづクリエイティブと松戸市で組み、2012年に「松戸まちづくり会議」が発足しました。

「松戸まちづくり会議」では、全員でワークショップを行い、地域の課題を出してもらうと、江戸川をなんとかしたいんだ、もっと知られたいから広報だ、西口公園をどうにかしたい、東口の丘の上が暗くて怖い、盆踊りがなくなりそう、壁画スポットをもっと活かしたい、防犯を強化したい、道路をもっと活用したいなどの意見が出てきました。各課題を8グループに分けて、解決するための企画を練っていきます。残り2グループはアーティストの豊嶋秀樹さんと城一裕さんに参加してもらった特別企画のグループ。合計して10個のワーキングチームができて、チームごとに「アーティスト」が参加しつつ、リーダーとして「町会の役員」、サブリーダーである「学生」に入ってもらって構成していました。そこにさらに地域のみなさんやボランティアが加わり、1グループ5〜10人くらいのチームになります。あとは事務局主導の企画として、僕と当時まちづクリエイティブの社員だった庄子渉さんや建築家の森純平さんなど初期のMAD City関係者、あとは2010年の松戸アートラインから参加してくれていたアーティストの中島佑太さん等で進めたアーティスト・イン・レジデンス「PARADISE AIR」がありました。

松戸まちづくり会議の体制イメージ

ワーキングチーム会の会合の様子

親会の会合の様子

中央公園での作品

瓦版第1号

小学校でのPTAによる防犯マップのワークショップの様子

後編につづく>

※本記事はmadcity.jp および M.E.A.R.L の共通記事となります

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