稲葉八朗さんを一言で言い表すならば「松戸の原住民」。本人も自称していたと思います。稲葉さんは「松戸の原住民」としてアメリカ先住民・インディアン*1 をリスペクトしていました。歴史を深ぼることが趣味の1つである稲葉さんは、彼らの歴史も紐解き、その土地に元々住んでいた同じ「原住民」として共感する部分を持っていたのだと思います。余談ですが、デジタルオタクでもある稲葉さんは、インターネットが誕生する以前の「パソコン通信」時代からパソコンに触れていて、自身でC言語を操りホームページを作ってしまうようなおっさんだったんですね。そこでインディアンを尊敬するあまり彼は部族名のアパッチ(Apache)などインディアンに関連するネット上のドメインを所有していると言っていました。
僕が考える自治区論は1789年7月14日から1795年8月22日にかけて起きた市民革命に遡りますが、フランス革命後に発生した近代国家に適合できなかった人々の集団が僕のいう「自治区」の始まりなのではないかと考えているんです。要するに国民と国家という近代国家構造の成立とともに、それにはまらない集団の形式として生まれたのが自治区。例えばアメリカとカナダの国境に現存するアメリカのイロコイ連邦はインディアン居住区として知られていますが、インディアンを尊敬している稲葉さんは、インディアンが自分たちの居住区を自治するように「松戸の原住民」として、自分たちのまちを自らの手でかたちづくりたい、成り立たせていきたいと考えていたのではないかと思います。現に松戸に通い始めた当初、稲葉さんに「自治区」を作りたいという話をした際に言われたのが「俺は原住民、お前はある意味インベーダー(侵略者)。でもお前は、異星人だ」という言葉。彼の理論では、今のアメリカに異星人が攻め込んできたら、インディアンはアメリカ合衆国を打ち倒すために異星人と手を組むはずで、お前は俺の味方だと言っていた。じゃあ彼が誰と闘っていたのかというと、どうやら明治政府なんですね。
そしてJR松戸駅前を中心とする半径500mをコアエリアに設定した自治区「MAD City(マッドシティ)」の構想について話すと「いいぞいいぞ」と。さらにそのロゴを貸せと言い、稲葉さんが所有するガレージ(神酒所、のちにまちづ社の事務所)にロゴをドカンと貼った図を作り、もってきてくれたんです。要はこういうことだろう?と。確かにそういうことですと答えた記憶がありますね。考えるよりも行動し、まずは看板を立ててその場を作ってしまえと背中を押してもらいました。また渋谷のまちづくりの一環で実施した「リーガルウォール」*2プロジェクトについて話すと、まちの配電盤に自由に描いてきていいと許可してくれて。稲葉さんにはもちろん配電盤に関する何の権限もないはずなんですが、実際に配電盤に色を塗った経験があると言っていた。後述しますが確かに配電盤を勝手にアレンジしていたんですね。そしてそのときの松戸には、稲葉さんがやっていいというならやっていいんだろうという空気があった気がします。カリスマ的な存在でした。そこから毎週のように会っては遊んでいましたね。