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アートと地域の共生についてのノート 第1回

※このコラムはMAD Cityの入居者に寄稿いただいています。古民家スタジオ 旧・原田米店にアトリエを構える美術作家・池田剛介さんが、今さまざまな論議を呼んでいる「アート」と「地域」について語ります。

連載 「アートと地域の共生についてのノート」

地域とアートの共生についてのノート

ここ10年ほどの間に日本においてアートという言葉は、その意味を微妙に変化させながら社会的な認知度を高めているように感じられます。ビエンナーレやトリエンナーレと銘打ったイベントが各地で開催されるようになり、もはや誰も正確にその数を把握できないほどにまで拡散しています。

それ以前、作品発表の場として一般に認知されていたのは日展をはじめとする団体展ではないでしょうか。私は美術作家として活動をしていますが、美術の現状をよく知らない人から「日展や二科展などに入選したりしているのか(してないなら、おまえはダメだ)」というようなことを言われた記憶がないでもありません。

しかし近年、日展は数々のスキャンダルによってその権威を失墜させ、公募展のもつ腐敗した構造を露呈させてしまいました。こうした旧態依然たる権威主義や階層構造をもつ「美術」に代わるものこそが「アート」という言葉に託されているようにも思われるわけです。そこには難しい知識やうんちくなどは必要ない、誰もが気軽に楽しむことができ、市民が参加しながら地域を明るく活性化する役割が期待されているようですらあります。

閉鎖的な「美術」から、より多くの人に開かれた「アート」へ。これは震災以後、人々の「絆」の価値が言祝がれ、情報化社会において「繋がり」が称揚される時代の趨勢とも符合する流れと考えられます。

* * *

『すばる』2014年10月号

『すばる』2014年10月号 

少し前に文芸批評家の藤田直哉によるテキスト「前衛のゾンビたち――地域アートの諸問題」(『すばる』2014年10月号所収)が話題になりました。アートが地方行政と結びつく仕方で行なわれるいわゆる地域アートは、アートを地域の活性化や人々のコミュニケーションといったような「目的」へと還元してしまいかねず、アートそれ自体の存在意義が見失われつつあるのではないか、といった議論がなされています。

こうした藤田氏による主張は、それ自体が斬新だったというよりも、アートに関わる者であれば、おそらくは多かれ少なかれ感じていた問題でした。こうした煮え切らない違和感を、ややアートの現場から距離のある立場から率直に表明した点が、その反響の大きさにつながっているのではないかと思われます。

日本での地域におけるアートは2000年代以降に顕著になりますが、欧米では一足早く、おおよそ90年代初頭から美術館やギャラリーといった場所に留まることなく、特定の場で作品が生み出す人と人との関係性を重視した傾向が現れ始めました。リレーショナル・アートと呼ばれるこうした動きは、現在のグローバル化したアートシーンの中で存在感を高めていく一方、コミュニケーションを生み出すことを目的とするかのような作品には、様々な批判も向けられるようになってきました。

『表象〈05〉』表象文化学会 編

『表象〈05〉』表象文化学会 編 

美術批評家クレア・ビショップは「敵対と関係性の美学」(星野太訳『表象』所収)において、ギャラリー空間でパッタイ(タイの焼きそば)を作り、観客にふるまうことで人々の間の関係性を生み出すリクリット・ティラバーニャの作品を次のように批判しています。ここで生まれるコミュニケーションは、そもそもアートへの関心をもって展示空間に足を運ぶ人々でのみ構成されており、作品はこれらの人々による平和的な会話に奉仕しているに過ぎない。そこにあるのは、誰にでも平等に開かれた場を提供しているように演出しつつ、その実そこに関わることのない様々な人々を排除し、現実にある諸問題を隠蔽した上で成立する、偽の民主性なのではないか——。

なるほど、こうした批判はコミュニケーション志向型のアートに関する、鋭い指摘だと考えられます。とりわけ芸術祭という形で行なわれるアートイべントは、しばしば公共の場で行われる点において、空間のジェントリフィケーションと結びつくしかたでの、より直接的な社会的弱者の排除をもたらす可能性も考慮されるべきでしょう。

ではどうすればよいのでしょうか。アートはそもそも観客への開放やコミュニケーションなどそもそも志向することなく、美術館やギャラリーといった場で専門家によって判断される「質」を競えばよろしい、ということになるのでしょうか。先に言及した藤田氏のテキストでは、コミュニケーションや地域の活性化といった社会的価値に還元されてしまうことにない芸術の固有性、あるいはより端的に「美」について考えていくことの重要性が主張されています。

次回以降、近年のアートが抱えるこうした問題について、いくつかの角度から検討していきたいと思います。

* * *

池田剛介《サイクルクエイク》あいちトリエンナーレ2013での展示風景

池田剛介《サイクルクエイク》あいちトリエンナーレ2013での展示風景 

最後に少し補足を。先に少し触れましたが、私自身は美術作家として活動を行っており、地域におけるアートの動向とも無関係ではありません。千葉県の松戸市で独自の不動産業をベースにまちづくりを行う「まちづクリエイティブ」を通じて制作のためのスタジオを借りていますし、これまでも地方行政が主催となった展示企画に参加したりしています。ですので本連載は、私の限られた範囲の経験や理解に基づく、地域とアートをめぐるノートとして進めたいと思います。来年には台湾南部の都市である台南市が主催となった芸術祭に参加予定であり、本連載の最後には、目下進行中の台南での作品プランについても紹介したいと考えています。

第二回に続く

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著者プロフィール

プロフィール

池田剛介

池田剛介(Ikeda Kosuke|美術作家)

1980年生まれ。自然現象、生態系、エネルギーなどへの関心をめぐりながら制作活動を行う。 近年の展示に「Tomorrow Comes Today」(国立台湾美術館、2014年)、「あいちトリエンナーレ2013」、 「私をとりまく世界」(トーキョーワンダーサイト渋谷、2013年)など。 近年の論考に「干渉性の美学へむけて」(『現代思想』2014年1月号)など。

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