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アートと地域の共生についてのノート 第2回

※このコラムはMAD Cityの入居者に寄稿いただいています。古民家スタジオ 旧・原田米店にアトリエを構える美術作家・池田剛介さんが、今さまざまな論議を呼んでいる「アート」と「地域」について語ります。

連載 「アートと地域の共生についてのノート」

アートとアクティヴィズムの境界線

一隻の小型船が港へと近づく。波止場では何やら人々が騒がしく、「テロリスト! ファシスト!」などと怒号を船に投げている。2014年末、3331 Arts Chiyodaでの「リビング・アズ・フォーム(ノマディック・バージョン)」にて紹介されたウィメン・オン・ウェイブによる《中絶船プロジェクト》の一幕です。船上に安全な中絶手術を行なうための施設を完備し、スペインやポルトガルなど、妊娠中絶が認められていない地域へ赴く。港には中絶賛成派と反対派、そしてマスコミとが大挙し、時には政府の巡視船も出動するなど一悶着を巻き起こしながら、そのまま船で去っていく——こうして中絶というイシューへの問題提起を行い社会的な議論を喚起することが目指されています。

展覧会は90年代初頭から20年間にわたる社会参与型アートの取り組みをまとめたニューヨークでの展示「リビング・アズ・フォーム」のダイジェスト版といった内容で、ここでは何らかの深刻な社会問題を抱えた地域や具体的なイシューに関わる目的意識の明瞭な作品群が紹介されており、関連書籍『Living as Form: Socially Engaged Art from 1991-2011』(MIT PRESS)には前回言及したクレア・ビショップも執筆者として名を連ねています。

冒頭のプロジェクトが非常に鮮烈な「パフォーマンス」であることは多くの人が認める所でしょう。ここでやや気にかかるのはしかし、これは優れて政治的なパフォーマンスであり、ある特定の目的をもった社会への働きかけとしてのアクティヴィズムに他ならないのではないか、という点です。こうしたアクティヴィズムとアートとの関係を私たちはどのように考えればよいのでしょうか。

* * *

スーザン・ソンタグは評論集『この時代に想う テロへの眼差し』に寄せた序文で、アクティヴィストの役割と作家のそれとの区別を行なっています。いわく、アクティヴィストは現実の中にある特定の問題を何らかの仕方で改善・解決するために、ものごとの単純化を行なう。これに対し、多元的にして矛盾に満ちた世界の複雑さを、その複雑さのままに扱うことこそが作家の仕事である、と。

『この時代に想う テロへの眼差し』スーザン・ソンタグ(木幡和枝訳), NTT出版

『この時代に想う テロへの眼差し』スーザン・ソンタグ(木幡和枝訳), NTT出版

ソンタグによる、作家とアクティヴィストとのこうした区別は、現実世界に対するアートの自律性を単純に言祝ぐものとは言えないでしょう。というのも彼女自身、時代の様々な局面で深刻な政治・社会的状況に対し直裁な発言を厭わない知識人でもあったからです。ベトナム戦争時のハノイ、ボスニア紛争のただ中のサラエヴォに身を置き、愛国ムードの高まる9.11直後にはアメリカ政府への鋭い批判を向ける。こうして作家自身が常に政治・社会的状況を注視しコミットし続けていたからこそ、ソンタグによるアクティヴィズムと文学との区別は傾聴に値するように思われます。

2001年イスラエルでの、エルサレム賞の受賞スピーチにおいてソンタグは、パレスチナ自治区からのイスラエル軍撤退を明確に主張しながら、それでもなお、次のように述べています。「文学は、単純化された声に対抗する、ニュアンスと矛盾の住処である。(…)作家の職務は、多くの異なる主張、地域、経験が詰め込まれた世界を、ありのままに見る目を育てることだ」(『この時代に想う テロへの眼差し』p209、木幡和枝訳、NTT出版)。あるメッセージの伝達可能性や社会的効果へと還元されることなく、多元的な価値や可能性のひしめき合うこの世界を描き出すことこそが、文学そして広くアートの存在意義である、というわけです。

* * *

2014年6月に私は、松戸のコワーキングスペースFANCLUBにて「台湾立法院の占拠から考えるアートと社会」という小さなトークイベントを行いました。タイトルの通り、昨年3月から4月にかけて日本でもにわかに話題となったヒマワリ運動とよばれる台湾での民主化運動に関するものです。

台湾の美術館での展覧会Tomorrow Comes Today展に出品中だった私は、デモ運動の中心地となった(日本の国会議事堂にあたる)立法院の周辺で、台北の美術関係者たちの協力を得て発電デモを行ないました。自転車に設置された発電機によってエネルギーが生み出され、ペダルを漕いでいる間、拡声器に電力を供給しながらデモ参加者の声がアンプリファイされます。私自身がデモを行なったというよりも、参加している各人がそれぞれの言葉を発声するためのインフラを作ったと言えると思います。

その後、私は奇遇にも占拠中の立法院内部に入れてもらえることになりました。占拠された空間は、秩序を失ったカオスに陥ることなく、通常の議会とは別の機能性をもった場として再編成されていました。その内部は情報班、翻訳班、医療班、物資班といった形に区切られながら、学生らによる議論を経て占拠活動の目的や政府への要求を整理し、十数カ国語に翻訳しながら、マスコミやウェブを通じて国際的に情報発信する中枢として変貌を遂げていたわけです。

オキュパイ時の立法院内部の様子/撮影:筆者

オキュパイ時の立法院内部の様子/撮影:筆者

こうした運動の中枢で活動を行なう参加者としてのヒトたちのみならず、空間の周辺部においてモノが独特の存在感を放っている様は印象的です。重量感のあるイスやペットボトル入りの段ボール箱がロープで硬く結ばれながらバリケードとして扉の前に積み上げられ、市民からの提供で持ちこまれた大きな黄色のダクトは、締め切られた場の空気を循環させる。通常、人の移動を制限するために用いられる結界は洗濯物干しとして転用され、各種ケーブルはテープで壁や床に仮固定される——ここではその場で調達可能な有限なモノを用いて、通常の議会とは別様に機能する場が巧みに形成されています。立法院周辺のデモがあくまでも平和的に行なわれていたのと同様に、これらのモノたちもまた、決して暴力的に破壊されたりすることなく、デモ終了後には回復可能な仕方で扱われていた点も特筆すべきでしょう。

社会運動として政府に対する具体的な要求を掲げ、非常に効果的な情報発信が議会の中心部において行なわれている一方で、占拠空間の周辺で実現されているモノたちのアレンジメントは、そうした社会的目的やメッセージに還元されることなく、切迫しながらも創造的、かつ一定の節制をもちながら、それぞれのモノに固有の単位や性質に即して場が形成されている様を伝えています。

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上・下:立法院内部/撮影:筆者

上・下:立法院内部/撮影:筆者

上・下:立法院内部/撮影:筆者

立法院内部/撮影:筆者

今回のヒマワリ運動の現場に立ち会った港千尋氏による一枚の写真にもまた、こうしたモノをめぐる創造性の有り様が収められています(港千尋『革命のつくり方』p175、インスクリプト)。立法院近辺に位置する政府関連施設の周辺には、有刺鉄線を巻かれた「くの字」型の、見るからに重厚な鋼鉄製フェンスが張り巡らされていましたが、このフェンス下方の斜面には幾重にも段ボールが被せられ、一人の男性が日よけ用の傘をさしながら新たに生み出された柔らかな環境に、その身を横たえています。

写真:港千尋

撮影:港千尋

こうした運動の周縁に見いだされるディテールは、運動のもつ社会的目的や政治的メッセージに収斂していくことのない、世界の潜在的な多義性を伝えています。イスやロープはバリケードにもなり、有刺鉄線の巻かれたフェンスはカウチソファーでもある——ここにはモノのアレンジメントによって世界の意味を読み替え、そこに新たな生きるための場を発見していく、そうした運動のあり方を確かに見てとることができるでしょう。彼らは、まさに「ニュアンスや矛盾の住処」(ソンタグ)として周囲のモノと関わり、モノと共にデモの場を生成させていたとは考えられないでしょうか。台湾の社会運動には、いわゆる反権力的な体制側との敵対性よりも、むしろモノをめぐる創造性に満ちた祝祭的な場が立ち上がっていました。

ソンタグは、アクティヴィストと作家とを区別し、社会的な目的に還元されない後者のありかたを強調しました。これが政治的コミットメントを厭わなかった知識人による指摘であることを最大限に引き受けた上で言えば、社会運動の中もまた、必ずしも政治・社会的効果に還元されることのない何事かが潜在していることを、台湾でのデモは示しています。ここには世界の複雑性や多義性をアドホックに解釈しながら、この世界を別のものへと変容させていく切迫した創造力が息づいており、これはソンタグの考える文学(アート)のありかたと、少なくとも部分的には重なりあうのではないかと思われるのです。

第三回に続く

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著者プロフィール

プロフィール

池田剛介

池田剛介(Ikeda Kosuke|美術作家)

1980年生まれ。自然現象、生態系、エネルギーなどへの関心をめぐりながら制作活動を行う。 近年の展示に「Tomorrow Comes Today」(国立台湾美術館、2014年)、「あいちトリエンナーレ2013」、 「私をとりまく世界」(トーキョーワンダーサイト渋谷、2013年)など。 近年の論考に「干渉性の美学へむけて」(『現代思想』2014年1月号)など。

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