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アートと地域の共生についてのノート 台湾編 第3回
※このコラムはMAD Cityの入居者に寄稿いただいています。古民家スタジオ 旧・原田米店にアトリエを構える美術作家・池田剛介さんが、今さまざまな論議を呼んでいる「アート」と「地域」について語ります。
連載 「アートと地域の共生についてのノート」
グローバル時代に「作品」は可能か?(上)
士林から公館というエリアに移動したのも束の間、2015年11月半ばからは一ヶ月強のあいだ台北を離れ、台湾南部の都市、台南に滞在しながら集中的に制作を行いました。台南にある二つのギャラリー(齁空間/絕對空間)を会場にした、二人の若いキュレーターの企画によるグループ展に参加するためです。同年の3月にわたしは、この会場の一つである絶対空間で個展を行い(この滞在制作についてはこちらに書いています)、その際に企画者のうちの一人ともすでに仕事をしていたため、このグループ展への参加を二つ返事で引き受けることにしました。
展覧会で掲げられた問いは主に二つ。「どのように(社会)運動の生命を継続可能にすることができるのか?」「なぜ今日フィールド(ワーク)について議論する必要があるのか?」。キュレーターから受けた説明をわたしなりに解釈すると、2014年の台北での太陽花学運を一つの参照項にしながら運動というものを社会運動であると同時にフィジカルな運動(エクササイズ)としても捉えつつ、その継続の可能性を問うこと、さらに具体的な場(フィールド)でのリサーチに基づいた作品を発表すること、これらを重視しているように感じられました。
台南の街を観察して歩くなかで、偶然ある建物に立ち寄ることになりました。街に流れ込んでいる運河と街の中心部とを隔てるように屹立する巨大建築、台南中国城。1980年代に建てられた当初はショッピングモールとして栄え、戒厳令解除の後に民主化が推し進められていった1990年代を通じて急速に衰退し、現在ではほぼ廃墟化した状態になっています。
実のところわたしは廃墟そのものに特別な関心があるわけではなく(いわゆる廃墟趣味というのは18世紀後半からイギリスで流行するピクチャレスク概念と結びついていることが知られていますし、現在でも廃墟マニアは一定数存在するわけですが)、街中にありながら完全に外の時間から断絶したこの場所を印象深く感じながらも、自分がどのようにこの場所と関わることができるのかは分からないままでした。
ともあれ実際にこの場所を訪れ、そこを歩き回る中で、興味深い状況を目にすることになりました。かつて娯楽施設だった広大な地下フロアには飲食店やゲームセンターの残骸が放擲され、外光も入らない薄暗い状態になっています。しかし、その中にいくつか明かりがついている部屋がありました。そこにはカラオケマシンが運び込まれ、誰もいない部屋の中心に置かれたモニターがカラオケの待機画面を映し出されています。なんともシュールな光景。しばらくすると、この廃墟化しつつある空間にイントロが鳴り渡り、カラオケが始まりました。その後も断続的に、一人二人の利用者がやってきては中国語で歌を歌い、また立ち去って行きます。
地下フロアの片隅でソファに腰掛けてテレビを見ている初老の男性に聞いたところ、この商業施設の衰退後に彼がカラオケマシンを持ち込み、部屋を飾り付け、人々が歌うための空間として作り変えたのだそうです。彼にこの場所に関する話を聞いていると、突如として聞き覚えのあるイントロが流れてきました。「ラブストーリーは突然に」、この90年代の大ヒット曲に2015年の台南の地で「突然に」出会う状況がなんとも不思議に感じられ、しばらくの間、話を聞きながらも心ここにあらずの状態となり、流暢な日本語で歌われるその歌に感じ入ってしまいました。
あの日あの時あの場所で――よく知られたこのフレーズは、前回の荘子をめぐる議論に引きつけるならば、運命的な必然性というよりもむしろ出会いの偶然性を言祝いでいるようにも感じられてくる。聞くところによれば、この巨大建築物は近々取り壊される予定になっており、今のタイミングを逃せば二度と関わることはできないように思われたため、この場所をめぐる作品に取り組むことになりました。
ある場所のフィールドワークに基づく作品の出品に関連して、企画側からもう一つの要望があらかじめ伝えられていました。作品のためのリサーチや制作に関する記録および資料もあわせて提示する、ということです。なるほど作品のみならず、その周辺にあって作品には本来含まれない、大工仕事の際の「バリ」のような部分を提示するのは、うまくやれば面白くなるんじゃないかという気持ちはありました。
ところが、この記録や資料の提示といった部分に関して散々悩んだあげく、正直なところわたしはあまり積極的な回答を出すことはできず、制作プロセスの写真をフォトフレームでスライドにする、という至極シンプルな形に落ち着きました。台南中国城との出会いによって制作が予想以上に大きなものになったことが一つの理由ですが、それだけでなく、作品についての記録を展示するということの意味を、わたしがうまく消化しきれなかったことが大きな要因になったように思います。
* * *
この展覧会に限らず現代アートの展示において、作品に関する資料や記録をインスタレーションとして提示することは、もはや当たり前のように為されるようになっており、こうした傾向について美術批評家ボリス・グロイスは「アート・ドキュメンテーション」という言葉で捉えています。この概念は、特定の時間に行われた一回性をもつ(例えばパフォーマンスのような)作品を写真や映像によって事後的に再現するような、単なる記録の展示とは異なるものです。
そこ[アート・ドキュメンテーション]で扱われているのは、日常生活への複雑で多様な芸術的介入、入り組んで手間のかかる議論と分析のプロセス、非日常的な生活環境の創出、さまざまな文化や環境における芸術受容についての芸術的な探求、政治的動機による芸術行為などである。こうした芸術活動はすべて、アート・ドキュメンテーションという手段抜きにはそもそも提示しえないものだ。なぜなら、こうした活動は最初から、芸術がそれとして自己表明できるような一個の芸術作品を作り出すという目的に寄与していないからである。(ボリス・グロイス「生政治時代の芸術——芸術作品からアート・ドキュメンテーションへ」、三本松倫代訳、『表象05』(月曜社)所収、p115)
なんらかの芸術作品があり、それを記録して事後的に再現するということではなく、「芸術がそれとして自己表明できるような」作品そのものが今や必要とされなくなっている。日常生活への介入、芸術の制度に対するメタ的な批判、政治的目的を掲げた行為といったような昨今の現代アートにおいてしばしば見受けられるこれらの活動は、作品「ではなく」アート・ドキュメンテーションとして提示される、というわけです。
芸術作品からアート・ドキュメンテーションへ――論文の副題でもあるこの転換は、グロイスが言及するように、ベンヤミンによる「礼拝的価値から展示的価値へ」という有名なテーゼに深く関連しています。かつて芸術作品は、例えば礼拝堂に描かれた絵画がそうであるように、ある固有の場と結びついた経験としてのアウラを持っていた。ところが複製技術が発展することによって、芸術は複製を通じてあらゆる場所へと拡散し、そうして遍在化することと引き換えに固有の場と結びついた唯一性がもたらす「アウラ」を喪失することになる。
グロイスの捉えるアート・ドキュメンテーションとは、こうした複製技術の台頭の延長線上にありながら、かつそこから逸脱するような事態でしょう。先に言及したように、記録や資料を展示する傾向は、ベンヤミンが見出した「アウラの喪失」にではなく、むしろ積極的に「アウラの創出」に関わる。ここでは複製化によって固有のコンテクストを失う、いわば「死」のプロセスが、ある仕方でもう一度「生」の方へと結びつけられることになります。どのようにして? 複製として遍在化するドキュメントに、ある固有の場を与える形式がインスタレーションであるとグロイスは言います。
アート・ドキュメンテーションは、その語の定義からして、技術的に複製可能なイメージとテキストという素材で構成される。そしてインスタレーションを通じてオリジナルのアウラ、生あるもののアウラ、歴史的なもののアウラを獲得する。言いかえれば、ドキュメンテーションはインスタレーションにおいて固有の場を獲得するのだ――歴史のなかに位置付けられた「ここ」と「今」を。(前掲書、p122)
シンプルなことが言われています。複製を通じて固有の場を失ったイメージやテキストは、インスタレーションという空間において、「ここ」と「今」という固有の場を取り戻すことになる。複製という人工物は、ここで再び(礼拝堂の絵画がそうであったような)ひとつの固有の場に結びついた「生のようなもの」を獲得する、と。こうして一つの閉じられた結果としての作品ではなく、それを間接的に記録し再現前させるというのでもない、独特のアート・ドキュメンテーションのありようが浮かび上がってきます。
ところでグロイスは近年のインタビューにおいて、現代のアートの状況を「フィクションの領域から現実の領域への移行」として語っています。
「[かつて]工場では現実のモノと有用な情報が生産され、美術館にはフィクションが置かれていました。けれどもいまは美術館と工場の差は消えてしまって、もはや存在していません」(「アメリカの外ではスーパーマンしか理解されない」上田洋子訳、『ゲンロン1』(株式会社ゲンロン)所収、電子書籍版、位置No.4727)。
どういうことか。かつて美術館は作品=フィクションが住まう場所であったのに対し、グローバル時代において、今やそうした作品の安住する場は成立し得ず、展示という現実=ノンフィクションの場のみが可能となる。アート・ドキュメンテーションの議論をふまえていえば、美術館はかつて墓場と揶揄されてきた作品の収蔵庫ではもはやありえず、絶えずオープニングが繰り広げられワークショップやトークが頻繁に行われるイベント会場として、活発な生の場を持続せざるを得ない、ということになる。
こうした現状分析は、世界各地で繰り広げられる国際展や、より小さな規模の地方のアートプロジェクトも含め、もはや作品を見るための場というよりも、あるエリアを一時的に活性化させるための「祭り」となっている昨今の状況とも深く通じており、現代アートを取り巻く現状の一端を的確に捉えたものであると言えるでしょう。
「フィクションから現実への移行」は何も最近始まったことではない、とグロイスは指摘しています。デュシャンが展示室の中にレディメイドを持ち込んだことを一つの分水嶺として、20世紀アヴァンギャルドは伝統的な絵画が持ってきたイリュージョニズムを批判し、芸術と「現実」との差異を消去することに専心してきた。そうして「作品を作ること」は「選ぶこと」との差異を失い、「芸術を作ること」は何らかのものを「芸術として展示すること」との区別を失う。他方で今日のグローバル・ツーリズム時代において、世界各地で行われる国際展やメジャーな美術館は観光客の目的地として否応なくマスカルチャー化してゆき、芸術の経験はかつてのように作品と一対一で向かいあう形ではなく、多くの大衆が観光地を訪れるように展示空間を通過する形の消費そのものとなっていく――「インスタレーションの政治学」において描かれるのは、こうしたデュシャン以降の20世紀アートの帰結と現在のグローバリズムとの合流点にある現代アートの状況です。
複製技術の登場によって芸術が「美しい仮象」であることから解放され、その鑑賞が大衆化すること。ベンヤミンは「複製技術時代の芸術作品」において、芸術と大衆との関係の変化に希望を見出しました。その希望に最もふさわしい形式が映画です。集団的に知覚される映画において、見る者は作品に対して個別の反応をしながら、かつ観客同士がその反応を「相互にコントロール」することを通じて一つの感性的な集団が形成されていく、今ふうにいえば自己組織化のような事態が映画の知覚の中に見出されることとなる。こうして自らの知覚によって集団として組織化されることを通じて「芸術の政治化」が可能となるだろう——。
こうしたベンヤミンの議論を引き継ぎながらグロイスが語るのは、すでに芸術が「美しい仮象」から抜け出した「現実」の場となって久しく、かつその鑑賞の大衆化が否応なく進行する——いわばベンヤミンの見た芸術の大衆化の夢が、悪夢として実現してしまった——状況においてなお、いかに「芸術の政治化」は可能か、という問いであるといえるでしょう。それはベンヤミンの議論を折り返すようなしかたで行われます。
アートがマスカルチャー化し、美術館が公共空間としての役割を強めていく中で、インスタレーションにおいては例外的に公共性に取り込まれることのないような、アーティストによる私的で主権的な決定によって空間が構成される。大衆の押し寄せる場となった公共空間において、インスタレーションは、必ずしも公共的とは言えないアーティストによる独自の「立法」が行使されている空間であるがゆえに、そこを訪れる人々を一時的に公共的な場からの「難民」にしてしまう。そうしたある種の暴力的なプロセスを経て、日頃は穏健に隠されてしまっている、民主主義が本来的に孕む主権的な力と公共的な秩序との緊張関係が露わになる、と。
と同時に、アート・ドキュメンテーションにおいてすでに見たように、インスタレーションは複製物に「今・ここ」を与えることで固有の場を作り出し複製物に生を再獲得させる。根源的な民主性を露わにした空間へと足を踏み入れた観客は、インスタレーションとして生を再獲得した空間において「今・ここ」を共有する民主的集団としてのアウラを得る——これがグローバル時代の「芸術の政治化」というわけです。
こうしてグロイスは、インスタレーションという形式がかろうじて作り出す、グローバル化する状況からの解放の可能性を描いています。しかし同時に、そこに強い宗教的な響きを感じないわけにはいかないでしょう。「今・ここ」を作り出すことで集団的なアウラを獲得するという議論は、かつてベンヤミンが批判的に捉えた礼拝的価値に政治的な希望を見出すようなものです。むろんグロイス自身がそのことに自覚的なのであり、先のインタビューにおいてこのように語っています。「あらゆる文化が宗教へと後退していることは、芸術にも影響を与えている。芸術はフィクションのステイタスを失いましたが、聖遺物のステイタスを獲得した」。こうしてインスタレーションはもはや作品ではなく、「聖遺物」として「現実のできごとを反映し、そのできごとに注意を喚起する」ものとなるわけです。
グロイスの主張を単純化すればこういうことになる――作品=フィクションに固執するならばグローバル化のもたらす「現実」に背を向けることになり、一方で「現実」を受け入れるのであれば作品=フィクションを放棄せざるを得ない。
* * *
前編の連載の第三回、第四回をつうじてわたしたちは、フィクションと現実世界との関係について考えてきました。ここでもう一度、同じテーマに立ち戻ることになります。わたしたちは芸術作品を過去のものとしつつ、インスタレーションやアート・ドキュメントがそうであるように、その都度の「今・ここ」の産出へと絶えずその身を捧げるしかないのでしょうか。グローバル時代のアートに正しく「適応」するという意味では、おそらくそうなのかもしれません。しかし同時にそれとは別の道を考えることは可能でしょうか。言い換えれば、こうした状況においてなお、いかに「作品=フィクション」は可能か――このいささか「絶滅」寸前のようにも見える問いを、改めて考えてみたいと思うのです。
→次回へ続く
連載 「アートと地域の共生についてのノート」
プロフィール
池田剛介(Ikeda Kosuke|美術作家)
- 1980年生まれ。自然現象、生態系、エネルギーなどへの関心をめぐりながら制作活動を行う。 近年の展示に「Tomorrow Comes Today」(国立台湾美術館、2014年)、「あいちトリエンナーレ2013」、 「私をとりまく世界」(トーキョーワンダーサイト渋谷、2013年)など。 近年の論考に「干渉性の美学へむけて」(『現代思想』2014年1月号)など。
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