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大山エンリコイサム インタビュー

thumbnail photo by 山森晋平


大山エンリコイサムのインタビューをお届けします。
大山は「あいちトリエンナーレ2010」での巨大な壁画作品や、イタリア文化会館・東京でのグループ展に参加するなど若手美術家として注目を集める傍ら、グラフィティやストリートアートに関する論考執筆、シンポジウムへの参加、また2011年10月に行なわれたパリ・コレクションではCOMME des GRAÇONSとコラボレーションするなど、積極的にその活動の幅を広げています。松戸では、2010年3月に壁画を制作、同年の秋には「松戸アートラインプロジェクト2010」に参加しており、スタジオをかまえるだけでなく地域との活発な交流も行なっています。現在はアジアン・カルチュラル・カウンシルのフェローシップとしてニューヨークのレジデンシー・プログラムに参加している大山ですが、その半年ほど前、2011年4月に旧・原田米店へとスタジオを移動した直後にまちづクリエイティブ代表の寺井元一も同席してインタビューを収録していました。以下、インタビューをお楽しみください。

日時:2011年4月7日
場所:旧・原田米店スタジオ
聞き手:小沼一志

1:寺井との出会い

小沼:どういうきっかけで、このスタジオに入ることを決めたのでしょうか。

大山:いろいろ考えられますけど、寺井さんとの関係がまずあったように思います。

寺井:初めて一緒に仕事したのは何でしたっけ?

大山:2007年の「桜木町 ON THE WALL」 かな。

寺井:その前からずっと付き合いはあったけどね。

大山:そうですね。おそらく2003年頃だったと思いますが、共通の知人がいて、彼が当時は渋谷にあった寺井さんの事務所に連れて行ってくれたのを覚えています。それが最初の出会いかな。それで、以前から何かと一緒にやらせてもらうことが多かったですね。

寺井:桜木町の他にも、六本木ヒルズのなかにヒルズ・カフェというのがあって。2008年にそこで大山さんに展示とライブ・ペインティングをしてもらいましたね。それはどちらかというと屋内でのプロジェクトでした。屋外のプロジェクトで一緒にやったのは「桜木町ON THE WALL」だけかな?

大山:もちろん松戸の「MAD Wall」 があるわけだけど、他はあまりないかもしれませんね 。

寺井:メタモルフォーゼ でライブ・ペインティングをやるからスプレー缶を提供して欲しいっていう相談とか、そういうのはあったよね。


大山エンリコイサム<桜木町 ON THE WALL>、横浜市桜木町、2007

2:「MAD Wall」制作について

大山:松戸に関しては、まず2010年の2月頃に、横浜でやっていた自分の展覧会のためのトーク・ゲストとしてオランダからZEDZ(ゼッツ) というストリートアーティストを日本に呼んでいたんですね。でも、せっかく日本にいるのだから一緒に壁画をかきたいよね、という話になって。寺井さんがもともとKOMPOSITIONというNPO法人で渋谷でそういうことをやっていたのを知っていたので、連絡してみたんです。それで相談をしたら、いまは渋谷じゃなくて松戸にいて、そっちだったら壁画をかけるロケーションが見つかるかもしれないという返事をもらいました。

寺井:相談を受けてから2日後くらいに、ちょうどよい壁が見つかって。

小沼:それが「MAD Wall」。

大山:そうですね。それで3週間くらい都内から松戸に通わせてもらって、ZEDZと僕ともうひとりMHAK(マーク) さんという日本人のペインターの3人で壁画をかきました。それが松戸と関わった最初のプロジェクトですね。その時に、住民の方にもすごく親切にしていただいたり、あと地元メディアにも注目してもらったりという経緯があって、縁ができたんです。その後、同じ2010年の秋に「松戸アートラインプロジェクト2010」 というアートプロジェクトをやるから参加しないかって声がかかって。いまスタジオになっているこの旧・原田米店という建物は、その時の展示会場のひとつだったんです。僕もこの建物で展示をしました。

小沼:「MAD Wall」のことをもっと具体的にお伺いしたいのですが、3人のコラボレーションがとてもよかったです。進行のプロセスはどのような感じだったのでしょうか。

大山:そんなに厳密にプランニングしていたわけじゃないんです。事前に壁のサイズだけ測って、コンピュータ上でおおまかな構図を考えたくらい。でも、実際はその構図とおりにならないというのはあらかじめわかっているので、ある程度までイメージだけ共有しておいて、あとはその場でかきながら即興的に決まっていきました。

小沼:なるほど。地元の町内会とのコミュニケーションはどうでしたか?

大山:それは非常に印象に残っています。最初、僕らから積極的にコミュニケーションを働きかけよう、ということはそんなに意識していなくて。でも、徐々に地元の方が差入れをもってきてくれたり、通りすがりに声をかけてくれたり、そういうことが一日に何回もあるようになったんです。自宅に招いてくれて、夕飯をごちそうしてくれた方もいました。そんな経験は初めてだったけど、非常にやりやすかったですし、暖かかったです。

小沼:一般論として、松戸という地域であのような先端的な壁画をかくことに対し、地元の方からはどういう反応がありましたか?

大山:僕たちが壁画をかいたのは、松戸駅から徒歩7分くらいの、ダイエーの近くのバイパス高架下の壁でした。そのバイパスの先が住宅街だったんですね。つまり、ダイエーの買い物客がバイパスのあたりを通過して住宅街に向かうという、人の流れみたいなものがもともとあったわけです。それで地元の方によく言われたのは、そのバイパスのあたりがちょっと暗かった。ダイエーで買い物をして、あるいは駅から家のほうに向かう時に、どうも暗いところを通過しないといけない印象があった。それが、あの壁画ができてからは明るさが増したというか、家に帰るのが楽しくなったというような感想をいただくことが多かったです。ずいぶん生活のなかに入りこんでいっているみたいで、それは嬉しく思います 。

小沼:アート作品として捉えるような感想や反応はありましたか?

大山:アートとしてっていう話になるといろいろとややこしくなりますが、ビジュアル的なことについては「色が明るくてよいですね」という反応がやはり多かったのではないかと思います。


大山エンリコイサム、ZEDZ、MAHK<MAD Wallプロジェクト>、千葉県松戸市、2010

3:「松戸アートラインプロジェクト2010」への参加

小沼:その後、2010年の11月から12月にかけて「松戸アートラインプロジェクト2010」に参加されたわけですが、感触はどうでしたか?

大山:個人的な話になりますが、僕の場合は、最初に出した作品プロポーザルとまったく違うことを結果的にやりました。それは建築物の使用上、安全面での制限とかそういった事情もあって、最初にやりたかったプランが実現できないということを、途中で事務局側に言われたからです。でも、それをなるべく肯定的に捉えて、じゃあその制限のなかでなにができるんだろうかって白紙に戻してまた考えることからスタートしました。結果的に、前にいちど実験的に制作した作品の展開版をやろうと思い、展覧会が始まる2〜3週間くらい前から実際に展示会場で制作を進めていくなかで少しずつ形が見えてきましたね。他のアーティストともお互いに協力し合ったりして、一度作業が走りだしてしまえば環境としてはやりやすかったかな。

「松戸アートラインプロジェクト2010」での制作風景(撮影:土屋うつ樹、2010)

小沼:なるほど。その後、松戸にスタジオを移されたわけですけど、どういうところに魅力を感じましたか?

大山:僕はもともと北千住にスタジオをもっていました。そこで、空間の広さにどうしても限界を感じていたんです。極端な言い方をすれば、スタジオの空間的なサイズは、制作する作品のサイズにダイレクトに影響してくるわけですね。せまいスタジオだと大きな作品はなかなかつくれない。さらに僕の場合は、スプレー塗料のようなにおいが発生する画材を使用することもあるので、本当は専用の塗装ブースみたいに空間を区切って作業したかった。そうなると、どうしても広い空間が必要になってきますよね。でも、北千住のスタジオにはそれだけの空間的な余裕がなかった。なので、もともと大きなスタジオを探していたんです。この旧・原田米店はアートラインでも見て知っていたし、ある程度まで自分の制作の流れにあわせて空間をいじれそうだなという感触があったので、総合的に考えて、北千住からもう10分ほど遠くなるけれどスタジオを移す価値はあるな、と判断しました。

小沼:現在、お住まいからスタジオまではどのくらい移動時間がかかりますか。

大山:1時間30分くらいはかかりますね。

小沼:なるほど。けっこうかかりますね。地理的な視点から言うと、例えば都内でご自宅の近辺ではなく、少し離れた千葉県の松戸にスタジオをもつ理由は何かありますか。

大山:ひとつには、都内で、値段的にも空間の自由度的にも、アーティストにとってよい条件の物件を探すのはかなり難しいということがあります。あとはやはり、松戸のある常磐線沿線にはアーティストのコミュニティがあると思ったんですね。僕は東京芸術大学の取手校地にある先端芸術表現科というところに通ってたんですけど、もともと北千住にスタジオを構えたのも先端科の知り合いの紹介だし、それとは別に上野や北千住にも芸大があるし、柏にもアーティストが多かったりして。すべて、常磐線なんです。そのなかで松戸は、これまで比較的あまりアートイベントやアーティストの出入りが活発な地域ではなかったのですが、それでも常磐線の流れのなかにあるわけですし、これからいろいろなアクションがでてくるだろうという期待もありました。あとは最初にも言ったように、寺井さんとの個人的な信頼関係も大きかったですね。

小沼:実際にこれから入居してくれるアーティストには知り合いが多いですか。

大山:そうですね。知り合いもいますし、直接まだ面識がなくても同じ大学出身の人もいるみたいです。

小沼:なるほど。では、これからこのスペースがどうなっていったらよいと思いますか。

大山:旧・原田米店スタジオは都内の物件に比べるともちろん広いのですが、もともと民家だった場所なので、倉庫みたいにひとつの大きな空間がどーんとあるのではなく、中規模な部屋が複数より集まっているような構造だと思います。そうなると、やっぱりアーティストの数が増えていって、それぞれの部屋をスタジオとして使いこなしつつ、同時にアーティスト間のコミュニティが生まれるような共有スペースみたいなものもあって欲しい。そういう形で、活気のあるアートの現場になっていけばよいなと思います。あとは、現代美術に限らず、さまざまなタイプのクリエイターが出入りするような雰囲気も魅力的だと思うし、個人的には寺井さんはそういうネットワークをもっていると思うので期待したいです。なにか、素敵な化学変化が起きてしまう場所というか。

小沼:そこで何らかの形のコラボレーションが生まれたら面白いですよね。

大山:そうですね。だいたいアーティスト同士は友達だったり知り合いだったりすることも多いけれど、スタジオをシェアするというのはまた違うレベルの付き合いではないかと思います。制作過程だったり、使用している材料や画材、それをどこで手に入れているのか、作品の保管はどうしているのか、どうやってスタジオを使いこなしているのか、というようなことは、スタジオをシェアして初めて見えてくることだし、そういう部分から互いに学ぶことも多いのではないかと思います。

小沼:北千住のスタジオでも、やはり他のアーティストとシェアしていたんですか。

大山:そうです。北千住のほうでは、美術家としてはいっていたのは僕ともうひとり、今この旧・原田米店スタジオにもはいっている池田剛介 さんでした。僕らは東京芸大の先端芸術表現科出身で、主にスタジオの2階を使っていたのですけど、1階は同じ東京芸大の音楽環境創造科に所属していた学生が数名で使っていて、ライブやパフォーマンスのイベントなどを行っていました。そのなかのひとりは音楽環境創造科を卒業した後、先端芸術表現科の大学院に進学してます。

旧・原田米店スタジオでの制作風景(撮影:津島岳央、2011)

4:松戸の人々の印象

小沼:松戸という街に対してはどういう印象ですか。

大山:個人的には、川があったり、空が広かったりして青いイメージがあるので、明るい印象ですね。

小沼:空は広いですよね。背が高い建物がこちら側にはないからですかね。

寺井:高いと言っても、せいぜい7階建とかですね。タワーマンションとか30階建てとか都内にはいっぱいあるから、それと比べると空は広いですよね。

小沼:松戸の人はほかの街の人と違いますか。

大山:地元の方に関してはやはり、「MAD Wall」を制作したときの印象が強いですね。
北千住でも小さな壁画をかいた時、地元の方に声をかけられたりもしました。その時は、やや斜めに見られている感じがあって。特にそのエリアは古くから住んでいらっしゃる方が多い場所だったので、なおさらそうだったのかもしれません。東京の下町ですからね。例えば、千住に「おばけ煙突」という有名な煙突があるらしいのですが、「なんでおばけ煙突かかないの」とか言われたり(笑)。その感じは僕もすごい好きで、結局は仲良くなっちゃったりするのですけどね。一方で松戸では、最初から最後まで地元の方はとても肯定的というか、受け入れてくれていたというか。その印象は強いですね。

小沼:それはなぜでしょうね。

寺井:壁画の制作が始まる前、最初の時点で一回会わせているんですよ。アーティスト側と町内会側を。一般論として、世代も感性も違うし、ZEDZはオランダ人だし、普通にしていたらなかなか交わらない人種なわけです。いきなり壁画を始めちゃうと摩擦が起こることも十分考えられる。だから、とにかく日にちだけ決めてまず皆で会おうと。そうすれば、やりたいこととか、どういう人たちなのかがなんとなくわかってくるから、それがクッションになるんです。それだけでだいぶ違う。

小沼:なるほど。いきなり始めちゃうと、やっぱり「何やっているんだろう?」って思われるよね 。

寺井:最初のハードルというか、一歩目みたいなことが重要です。そこを少しでもつくるという。もちろん地元の方全員が来たわけではないんだけど、一人二人に伝わっていると「これからこういうことがあるぜ」って、皆さん自慢気にどんどん話してくれたみたいで。そういったクチコミのような形で、地元の方の間で事前に話が共有されたというのはでかかったのではないかと思います。

大山:やっぱり公共の空間なので、手続きとしてはそういうことが大事なんでしょうね。



5:作品について

大山エンリコイサム<FFIGURATI Drawing #16>、2010

小沼:大山さんの活動について伺います。一連の作品はウェブサイトで見させていただきましたが、今後の展開についてどのように考えられていますか?

大山:まずはこれまでの制作について話そうかと思います。僕はもともと「Quick Turn Structure(急旋回構造)」というモチーフを軸に制作してきました。これは東京芸大の大学院にはいる前からやっていて、グラフィティやストリートアートに影響を受けたり、ライブ・ペインティングの活動をずっとしていったりしていくなかで徐々に発展させてきたものです。その後、美大にはいってからもう少し考え方が深化したかな、と思っています。支持体についての意識が高まったのですね。絵画としてキャンバスにかくこと、壁画として公共空間の壁にかくこと、ライブ・ペインティングで即興的にかくこと、同じQTSというモチーフをかくのだけど、支持体が変われば作品の技術的な条件が変わるし、文脈も変わってくる。それは当然と言えば当然なのだけど、正直に言うと、独学でやっていた頃はあまりそういうことを考えていなかったんです。でもそれは、各ケースでそれぞれ最適解を見つけていくような、デザイナー的ソリューション志向の発想ではないんです。QTSという自分が一貫してかいてきたモチーフを、そのつど異なる条件のもとに放りこむことで、むしろ摩擦を起こしながらQTSをねじっていくようなことを考えています。もちろん、結果的にQTSというモチーフ自体が少しずつ別のものになっていく可能性もあります。
例えば「松戸アートラインプロジェクト2010」では、素材にスタイロフォームを用いた「Cross Section / Fossil」という立体作品を作りました。パネル状のスタイロフォームを層をなすように重ね、その一片をヒート・カッターでまるごと切りとって、その断面を見せる作品です。それは一見、QTSの作品群とはまったく異なるのですが、ヒート・カッターでスタイロフォームを切り出す時の身体感覚は、ライブ・ペインティングで線をかく時の感覚にも通じていて、自分のなかでは根っこの部分にある造形性が共通している感じがあるんですね。鑑賞者には伝わりづらいかもしれませんが。ただ、そういうぎりぎりのところで、自分の制作における感覚を維持すると同時に押し広げていくような、そういうイメージがあります。

大山エンリコイサム<Cross Section / Fossil>、2010(撮影:津島岳央)

小沼:個人的に、今後QTSがどのように発展していくのかなという興味があったもので。

大山:そうですね。それはなかなか説明が難しい。手探りな部分もありますので。僕は文章をかく仕事もしていて、主に他の人の作品とか、要するに自分の外部について語ったりするわけですね。勝手な話ですけど、そういう時はあるひとつの視点、あるいは複数の視点だとしても整理された枠組みのようなものをある程度は設定して分析するわけです。文章はあくまで人に伝えるためのもので、無駄にややこしく小難しい言い方はしないというのが僕の基本的なスタンスなので。でも、自分の作品についてはそれがとても難しい。というのも、そうやって整理して枠組みを作るということは同時に、作品のもつ可能性や多義性を一方向に押しこめていくということでもあって、場合によってはパッケージングしてしまうことにもなる。
優れた批評というのはつねに、作品の潜在的な可能性を引き出していくものだけど、それはあくまでプライマリー・コンセプトのようなものが先行してあって、それに対して別の視点を提示していくという仕方で成り立つものだと思うのですね。「一般的には、あるいは今まではこう考えられてきたけど、実はこういう見方もできるし、そうするとぜんぜん違う価値が発生してくるよね」というように。じゃあ、そのプライマリー・コンセプトは誰が作るのかって言うと、多くの場合それは作家が自分でステートメントとして世の中にプレゼンテーションしていかないといけない。そうしないと、人に気づいてもらえないからです。そしてプレゼンテーションして人に理解してもらうには、ある程度まできちんと整理されて、まとまった言語を用いないといけない。それで最初の問題に戻るわけですが、そのようなまとめの作業を作家が自らやるというのは非常にためらわれることなのです。ある作品について言葉じゃ回収できないような要素がたくさんあるということは、それを作った本人が一番知っているわけですからね。
でも個人的には、だからと言って何も喋らないというのもまた違うんですよね。実際にはいろいろなことを考えながら作品を作っているので、そこに思考の痕跡みたいなものはあるはずで、それについて人に説明したり文章にかいたりすることはもちろんできる。だからその時に、作品の可能性をせばめてしまうのではなく、むしろ言葉の力によって可能性が広がっていくようにしたい。そのさじ加減が難しいと言えば難しいのですね。

小沼:難しいところでしょうね。

寺井:でも、きっとやった方がよいよね。リスクを負ってでもやらないと、先に行かない気がする。

大山:それはそうですね。

小沼:「Cross Section / Fossil 」も見させていただいたのですが、ひとつ違うステップに行っている気がしました。あの作品に対してはどういう狙いがあったのでしょうか。

大山:狙いというほどのことではありませんが、考えていたことはいくつかあります。そもそも僕は、立体作品をあまり作ったことがなかったんです。大学院の修了制作展で初めて大型の立体作品を作って、それから2009年に旧・在日フランス大使館でグループ展 に参加した時に初めてスタイロフォームを用いた作品「Cross Section / Waterfall」を作りました。なので「Cross Section / Fossil」は立体作品としては三つ目で、スタイロフォームのシリーズとしては二つ目の作品になります。修了展の作品は、大型のアクリルキューブの表面にQTSをステンシル技法でかいたものでした。その時は、QTS自体をそのまま立体にしていくような方向で考えていたのですが、フランス大使館の時は別のアプローチを取りました。つまり、一見すると使用している素材や作品の形態はQTSとはまったく関係ないように見えるし、実際そうなのですが、そのような目に見える部分ではなく、QTSにも通じる身体感覚のようなものにむしろ重点を置くことで、立体作品ならではの展開ができないかと考えたわけですね。それは「Cross Section / Fossil」でも同じです。
もう少し補足すると、スタイロフォームのシリーズで重要なのは「切る」ということなんですよね。ざっくばらんにスタイロフォームを重ねてできる塊の、そのひとつの面だけをヒートカッターでバサって切るんですね。その一回性のなかに、即興的な体の使い方があります。それがライブペインティングの感覚に近い感じがありますね。もちろん、すごく実験的なものではありますけど。

大山エンリコイサム<Cross Section / Waterfall>、2009

小沼:なるほど。これまでの作品、モチーフを立体化するにあたって、視覚的な部分ではなく身体の動きを起点にしていくことで、あのような造形になったということですね。

大山:そうですね。もちろん始めからそのような確信があったわけではなくて、制作を進めるなかで「あ、こういうことかもしれない」と、事後的に気付いていった部分もありますけれど。それから、作品ができてから結果的に思ったのは、スタイロフォームの断面が現れることで物質としてボリューム感の質が変わるということです。感覚的な言い方になりますが、ふつうある物体を削ったらそのぶんサイズが小さくなりますよね。「Cross Section」のシリーズでは、そもそも一枚一枚のスタイロフォームは小さいものなので、それがいくら重なっても小さなものがたくさん積まれているようにしか見えない。ところが、それを削って大きな断面が現れる、と。それは一回性の身体の動きから生まれるものなので、大きな一枚ものの断面になるわけです。そうすると、全体としてあるまとまりをもったボリューム感のようなものが出てきて、オブジェクトとしてまったく別のものになってしまうんです。だから、断面が重要だな、と。タイトルに「Cross Section(断面)」という言葉がはいっているのも、そういう理由からなんです。

小沼:多角的なお話をありがとうございました。これからの活躍も期待しています。

■プロフィール:
大山エンリコイサム(おおやま・えんりこいさむ)
1983年、東京生まれ。美術家。「Quick Turn Structure(急旋回構造)」という独特のモチーフを軸に、ペインティングやインスタレーション、壁画などの作品を制作、発表している。おもな展示に「あいちトリエンナーレ2010」(名古屋市長者町、2010)、「Padiglione Italia nel mondo : Biennale di Venezia 2011」(イタリア文化会館東京, 2011)など。共著=『アーキテクチャとクラウド──情報による空間の変容』(millegraph、2010)。論文=「バンクシーズ・リテラシー──監視の視線から見晴らしのよい視野にむかって」(『ユリイカ』2011年8月号、青土社)ほか。

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