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「店舗を増やすよりも、お客さんと顔の見える関係を長く築く」――原田一紀さん(おこめと笑顔の店ハラダ)
MAD Cityに集う人たちのインタビュー企画「MAD City Person」。今回は、旧・原田米店のオーナー、原田一紀さんにお話を伺いました。(文・写真/猪鹿倉陽子)
原田一紀さん
■江戸時代には徳川家の御用商人だった
――原田米店は創業何年ですか?
そうですね・・・江戸時代に徳川家の御用商人として品物を納めていたという記録があります。そのころはお米だけではなくさまざまなものを売っていたようです。現在のようにお米を中心に売り出したのは明治時代からです。創業年数としては約170年前後だと思います。
また、現在の店舗の向かい側にある「旧・原田米店」は大正時代初期に建てられた民家で築約100年です。2006年まで店舗として利用していました。現在はまちづクリエイティブを通して、アトリエミルクルさんや椅子張り職人の遠藤さんら10組ほどの方々にアトリエとして貸し出しています。
旧・原田米店
――どういう経緯で貸し出すことになったんでしょう。
きっかけは「松戸アートラインプロジェクト2010」ですね。その時に、寺井さんからのご縁で何組かのアーティストさんの作品展示スペースとして場所を提供したんです。
中でも、聖徳大学の大成哲雄先生とゼミ生による「お米屋さんプロジェクト」という作品では、米や米袋が使われたんですが、「なんでこんなにかっこよくなっているんだろう(笑)」と感動しましたね。
大成哲雄先生とゼミ生による「お米屋さんプロジェクト」作品。米袋でつくられた巨大テディベア
その後、建物が使われてないのはもったいないですし、アトリエとして使いたいという声をいただいたので貸し出すことにしました。
■「ぜったいやるもんか」と思っていた米屋
――先祖代々、お米屋さんを続けられていますが、将来的にお米屋さんになることに抵抗はありませんでしたか?
すごくありましたよ。「米屋だけはぜったいやるもんか」と思っていました(笑)実は、米屋を継ぐ前にサラリーマンとして6年間、石油化学系の会社で営業職をやっていたんです。
――それでなぜお米屋さんを継ごうというふうに気持ちが変わったんですか?
ふと、「このままサラリーマンを続けていいの?どうせなら社長に!ではどうすればいいの?」と思い始めたんです。そしたら、身近にビジネスチャンスがあるじゃないかと気づいて(笑)これまでの会社員として得た経験を米屋で生かそうと思い、継ぐことにしました。
■仕入先は必ず自分の目で味と生産者を見に行く
――お米は、玄米を仕入れて、お店で精米していますよね。
ええ。そうすることで産地を指定できて、農家さんとも顔の見える関係を築けるので、生産~販売まで責任を持てます。主に山形・千葉・長野ほか、各地の農業生産法人さんや農協さんはじめ、さまざまな流通ルートから仕入れています。
お米は山形や長野ほか各地から仕入れている
精米機
――他の商品もすべて生産現場を直接見に行かれるそうですね。
お米の仕入れを通じてつながった業者さんからいい物の情報が来るので、直接生産地に見に行きます。生産者の方と顔をあわせて、もちろん味も確認して納得したものを仕入れています。余談ですが、倉庫がきれいなところはいい生産者さんであることが多いんですよ。
お米以外にも原田さん目利きの商品が並ぶ
お店のポップも原田さんの手書きでこだわりがつまっている
■「あなたがいてくれて助かる」――顔の見える関係を大切に
――これまでで印象に残っているお客さんはいますか?
うちのお客さんは昔からの常連さんが多くいます。配達もしていて、ご高齢の方の家には台所まで行ってお米をいれています。そんなときに「あなたがいてくれて助かる」と言われるのはうれしいですね。配達に行った時に、お客さんの様子がおかしいと気づき、近所の人と相談し、救急車をよんだこともあります。また、お米以外にも、「友達に贈り物をしたいんだけど」なんて細かい相談を受けることもあります。
――まさに「顔の見える関係」だからこそできることですよね。
そうですね。うちは、店舗を増やしたり、拡大していくことを目標にはしてないんです。それよりも、長くじっくり付き合えるお客さんといい関係を築いていくことを大切にしています。同じ物でも顔が見える関係の人から買いたいじゃないですか。いつか、うちと常連さんやその家族みんなで浅草花やしきを貸しきって遊びにいくことが目標です(笑)
■松戸にはこだわりの強い個人店主がたくさんいる
――原田さん自身、フルマラソンやトライアスロンをされていましたよね。学生時代には何かスポーツをやってたんですか?
大学時代はアルペンスキー同好会に所属していました。オフシーズンも毎日トレーニングをしいて、国体選手もいるような本格的なところでした。今でも、ランニングや自転車・水泳をやっています。米屋の仕事も体が資本ですから。
――松戸は原田さんから見てどんな町ですか。
今は、昔からここに住んでいる人と新しく外から来た人たちがまざりあってきていると感じますね。まちづクリエイティブのような会社を通じて若い人が増えたことは、ありがたいです。昔からの商店が多く残っていて、こだわりの強い店主がたくさんいるので、ぜひ松戸に来た時は店の人と話してほしいですね。
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